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誕生日。思ったことをつらつらと

あまり明るい文ではないですが、ゆっくり川に流すような気持ちです。
吐き出すというセラピー。


誕生日を迎えた。家族には健康に今まで生きてこれたことへの感謝の気持ちをラインで送った。毎年誕生日と言えば、「こんなんでこの年になってしまったけどこの先大丈夫かな…」と漠然と不安なる日だ。でも普段連絡を取らない人から連絡が来たりすると単純に嬉しかったり励まされたりしている。


後日、お祝いにと家族でご飯を食べた。
月一回程度の頻度で会っているが普段連絡はあまりとらないので近況報告から話をする。家族に会うのは嬉しいことなのだけど、お酒も進んだ頃、どういう訳か少し気持ちが暗くなっていた。

「誕生日を迎えたけど、職場で90代の人たちを見ていると、人生長すぎると思ってしまう」

これは私の中にあるネガティブな気持ちを大分遠回しに表現した言葉だ。
こんなこと親に言うのは申し訳なかったけれど、聞いて欲しかったんだと思う。
それで、母親もきっと心の中で似たような気持ちを抱いていると思う。
父親はそういうのはないらしいけど、とにかく昔ほどかは知らないが仕事のストレスが大きいらしい。
それが家族のためですというのならごめんねと言いたくなる。
うちはそういうのを持っている家族だからね、と母はそんな話をした。

私の発言に対して父の言葉は「どのくらい生きたかじゃない、どう生きたかだ」だった。
50数年の経験をもとに発せられる言葉は重みがある。
分かるよ、でもね、と言いたい気持ちもある。

ちょうどその後に父が頼んでおいてくれたらしいケーキが運ばれてきた。
コロナ禍だけどお店の人に歌も歌ってもらった。
母親は私がそういうことされるのが苦手なの覚えてくれていて、いいよいいよと言ってたけど。
その緩急に頭がついていかず、泣いてしまった。
お祝いの日にこんな話をするなんて親不孝だなと思って、でもその矢先にちゃんと祝われてしまったから、感情が混乱した。
(後で父の日記を盗み見た時、私が感激したと書いてあって、そんなに純粋じゃないよとツッコミたくなったけど。)

人生について考えたかった。人生の終わりも知りたかった。
だから今の職業についたようなところもある。
だけどあまり掘り下げることもなく。
考えたいと言いながら向き合い切れていない。

明日も頑張ろう。

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