「民藝の100年」感想

近代美術館に民藝の100年を見に行ってきた。

結局、民藝運動というのは基本的に柳宗悦が牽引していたことなんだなというのがよく分かった。展示の最後で、柳宗悦が亡くなった後に芹沢銈介が宗悦を曼荼羅にしてたのを見て、ああ柳宗悦はカリスマを超えてある意味では神だったんだろうなと思った。そしてそういう人間が一人いるだけで、これだけのことができるんだと。

やはり今回の展覧会で一番面白かったのは編集者としての柳宗悦の姿で、ありのままを見る、というようなことを言う一方で、徹底的にその見せ方にこだわった人間だったということ。だから民藝というのは実際にはそんな素朴なナイーブなもんじゃなくて、自分たちの身のこなしも含めて、見せ方に徹底的にこだわっていたのだということを知る。それは民藝運動の三本の柱が、美術館、出版、流通だったということに端的に現れている。見せ方を掌握することが、ある運動の勝敗を決定づけるのだと。

だから展示の最初の方で、すでに柳宗悦がリーチのような西洋的な感覚を内面化することによって民藝を「発見」した、というようなことがキャプションにあったけれど、これは本当にその通りで、志賀直哉にしてもそうだけれども、こういうある部分に於いては非日本人的な、外部的な視点を持つ人間が民藝の発展には不可欠だったのだろうと思う。

途中、柳宗悦は朝鮮に対しての態度が当時の日本政府とは相容れないものだったというようなことが書いてあって、それも今回初めて知った。そのような態度と共に、ある種の日本らしさの発見としてのプロパガンダ的に利用される「民藝」の間でうまくバランスをとりながらやっていく、このあたりもめちゃくちゃ身の振り方が上手いなと思った。だから最後の近代美術館への批判は、キャプションにもあったように、ある部分においては自己批判というか、柳宗悦自身にもフィードバックするものであったと思う。最後の部屋で、民藝が「民藝ブーム」とも呼ばれるものによって形骸化していくことへの批判の文章があったけれども、ショップスペースが皮肉にもそれを体現している感じになっててちょっと面白かった(でも食器を買ってしまった)。

結局、民藝はやっぱり戦後の近代化の過程で、それが単なる趣味趣向になっちゃった時点で死んだんだなぁと思う。でも柳宗悦がいなかったら、こういうその当時の大量の記録みたいなものが失われていたと思うと恐ろしい。とはいえ、海外への雑誌に掲載された柳宗悦一家の団欒の写真が「戦時中の一般的な日本人の家庭の姿」みたいなタイトルを付けられつつ完全にブルジョワで、一ミリも現実を反映してなかったのには笑った。でもこれくらい浮世離れしてないと、当時の日本の、ある部分に於いてはしみったれた、暗い、ありふれた地方の文化をあえてその時代に面白がるという奇特で粋な発想は生まれなかったんだろうなぁ。

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