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成人になったんすよ

20歳になったその時、
僕はコロナにかかって家で寝ていた。
自宅療養期間も後半に差し掛かって
そこそこ回復していたのを親が察したためか、
寿司の出前を取ってくれていたようで
ゴミ溜めみたいな机の上で
ありがたく魚類共をいただいた。
20歳の誕生日は、
およそいい思い出とは言えないディナーくらいしか
イベントがなかった。

僕はいつもタイミングが悪い。
誰かに飯に誘われるのは決まって金がない時だし、
金が有り余っている時は
みんな忙しい時が多く一人で遊ぶしかない。
その理由はなんとなく最近わかった。
みんなが頑張ってる時に僕は頑張らず、
みんなが頑張っていない時に僕は頑張るのだ。
(現状の僕はそう言う自分の性分のせいで
苦しみきっている)
協調性がミリとかナノとか
そう言うレベルで小さいために、
周りが何か同じことをしていると
なぜか浮きたくなってしまうことが
関係していると考えている。

協調性がない僕にとってタバコは便利で、
みんなが楽しそうにしている時に
自分が楽しそうにするのが疲れてしまったら、
タバコを理由に一人になれる。
簡単に浮けるのだ。
誰かといるとそこにいる人間のパラメータと
自分のパラメータを比較してしまうから、
疲弊してしまうことがある。
ふと相手の口から出た思想に
一瞬でも自己肯定が見えたら怖くなってしまう。
だから浮きたい、風船みたいに。

僕個人の考えになるが、
自己肯定感とは奪い合うものだ。
「私は美人だよ」と誰かが言ったとする、
大抵その発言には自分以外の人物が
美人でないという意味が含まれる。
「私も可愛い、みんなも可愛い」なんて
どれだけ自分以外を褒めたとて、
「可愛い」の定義を作ってしまえば
その定義からあぶれる人間は必ず出てくる。
あぶれた人間たちは、
「私は可愛い」と声高らかに叫ぶ美人たちに
可愛いの定義をぶつけられて、
その定義からあぶれた事実を受け止めたが最後
手持ちの自己肯定感を自ら手放す。
みんなが自己を肯定するたびに、
周りの弱い人間の肯定感は奪われている。

この辺で全く関係のない前置きを終えようと思う。
ここまでは準備運動みたいなものだと
思っておいてほしい。

僕は成人式に行った。
知ってる人の群れと、知らない人の群れ、
覚えていない人の群れに揉まれて
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
いい大学に行ったと言う報告を受けるたび、
「こいつは俺と遊んで得られる楽しさより
それを削っていい大学行って明るい将来を掴む方が
大事だったんだな、そっかそっか」
と意地の悪い言葉を「久しぶり!」で
かき消す作業が必要なので大変だった。

偉い人の話を聞き、
壇上に立つ同級生を羨み、
全くやる気なさそうなかつての恩師達による
サプライズ映像を見て、
式自体が終わったタイミングで
すぐさま喫煙所に向かった。
とにかく一旦浮きたかった。
その場に生じていた中学校のヒエラルキーを
思い出して辛かった。
あの時の記憶が重力となって僕を縛るので、
空気より軽い煙かなんかになるつもりで
一服しておきたかった。

適当に写真撮影を済ませて、
ベタに軽い飲み会なんかして、
弟とタクシーに乗って帰った。
家に帰って彼女と電話した時に、
「ああ、もう現在だ。よかった」と
思わず安心した。
タイムマシンがあるなら
過去と未来どっちに行きたい?
なんて質問をされたとして、
あなたならどっちを選ぶだろうか。
僕ならタイムマシンに唾吐いて帰る。
過去なんか半分くらいクソまみれだし、
未来は不確定だからまだ怖い。
僕みたいな人間は「今」を生きるしかない。
一見ポジティブだが全くそんなことはない。
過去は幸せじゃないことの方が多いし
未来の幸せは100%保証されていないから、
「今」感じている幸せのみが本物なのだ。

その日のインスタのストーリーは
「今日撮った写真ある人はください!」
で彩られていた。
縋れる過去がみんなにあると言うことが
ちょっとだけ羨ましくなった。
みんなは浮かずに地に足をつけて、
しっかり足を踏みしめ進んでいる。
僕はもう開き直って浮いてやろうと思う。
いい感じの鳥を口説き落として、
浮いた僕ごと空を飛んでもらおうと思う。

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