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シン・社会人 Ver.2.3.1

とあるコールセンターに勤めている。
受電業務だが割と営業チックで、
成績がしっかり出るタイプの職なので
あまり気は抜けない。

社会では結果の伴わない努力は努力でない。
努力として認められない、
とかそう言う話ではなく
そもそも努力としてのカウントにはならない。
その物差しで言うなら、
僕は努力を怠っている。
結果を出すのを怠っている。

あれこれ話さなきゃ!
と思って色々言葉を尽くすが、
なにかと噛んでしまう。
脳髄から流れた義務感が溢れ出したが最後、
うまく話せなくなってしまって、
案内の運びが悪くなる。

社会に生きるのは自分だけでなく、
電話の向こうの人間も同じなので、
そこに不満をこぼされることもしばしばある。
歯を食いしばって耐えるほかはない。

会社でのコミュニケーションもうまくいかず、
自分より偉い人だとすぐ恐縮して
業務感の抜けない会話になってしまう。
今まで会話が盛り上がらないなと思ったら、
「刺身って、絶対ネーミングミスってるよね。
 刺してねえじゃん。切ってるじゃん」
とか適当ほざいてればよかったが、
同じ職業をしているという共通点だけの人間が
そんな自分の会話に必死になったり、
面白がる暇なんかない。

自分以外の人間同士との会話で
笑顔を見受けることは多いが、
いざ会社での自分の会話を振り返れば、
そんなものなかった気がする。

家に帰っても、
音楽をする気も起きずに
ベッドで横になっていたら寝てばかりで
これから本当に仕事くらいしか
自分の人生にイベントがないのではと不安だ。

それを誤魔化すように、
最近は映画をよく見る。
映画の世界に自分を溶かして、
さも自分の人生に彩りを加えたつもりになり
小さく満足する。
自分自身の人生の豊かさより、
追体験する人生の豊かさの方が
魅力的に思えてきてしまう。

全てを怠惰に包み込まれてから、
自分の個性が消えた気がする。
曲を書く気力もどんどん失せて、
さらにコミュニケーション能力も低下中。
物を消費する楽しみばかり覚えて、
物を作る楽しさを忘れてしまった。

ここから僕はどのようにして
生きていくつもりなんだろうか?
僕自身に問いたい。
色々半端にこなしてきたせいか、
今更になってそのツケが回ってきている。
支払いの催促を渋り続けて
これからも生きていくんだろうか。

学生時分、
己の未熟さは学んでいる最中だから当然と
開き直っていた。
しかし学校を卒業する頃には
ある程度自分のたりないところを
補わなければならない。
僕は最大の修了過程である
「自分自身と向き合う」の
単位を落としたために
今こうして苦しみ続けている。

個性のあるふりばかりうまく、
そのくせそのふりさえ出し惜しむ。
僕は何者として生きるつもりなんだろうか。
これからそれもわからないまま生きていくのは、
なんとも寂しく感じる。

社会という巨大な時計に
組み込まれた歯車となった僕らは、
回ることにしか価値を見出せなくなるのか。
いや、それをなんとか否定したい。
「しなきゃいけないこと」で
人生を語るのではなく、
「したかったこと」
で人生を語りたいし、
そういうもので何かを世に残しておきたい。

せめてこの文章を、
鼻で笑ってくれる人くらいはいますように。

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