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「解釈力」2023年3月振り返り

3月の1週目にはすでにこの内容について今月は書こうと思っていたくらい、かなり個人的には好きな内容だ。

「解釈力」

定義された言葉ではないと思うが、ここ最近とても意識することだ。
行動には必ず理由があり、その理由をもとに判断するプロセスがあると思っている。そのプロセスの材料になるのが、状況に対しての解釈で、この解釈の仕方がその後の行動を変化させ、結果に違いを生ませると感じたことから個人的には解釈の力を技術も含め「解釈力」と呼んでいる。

3月4日に日本睡眠環境学会の学術大会があり、さまざまな先生による特別講演や企業や大学を含めた研究発表を聴講することができ、大変勉強になった。
基本的には研究発表があったときはその後の質疑応答で数問内容についてのディスカッションがある。その中でもかなり印象的だったのが研究者同士での

「私は○○の論文をこう解釈しているのですが、□□先生はどのように解釈されておられますか?」

という議論だ。私は研究畑出身ではないためとても新鮮だったのかもしれないが、かなり感銘を受けた。
研究データはその検証結果が数字を用いられて相関があったのか、なかったのかなどはっきりとしているイメージだったが、この結果がすでに出ているものに対して、見方によって、解釈の仕方によって違うとらえ方ができるのだ。

私は睡眠の研究者(大学や研究機構で研究を行っている方で自身を実験台として研究してますというような自称研究家ではない人)をとても尊敬していて、セミナーがあれば参加するし、必要であればアポをとってお話を聞きに行くこともある。もはや推し活に近い。なので、研究者のいうことはデータの裏付けがあり正しい!というバイアスが若干かかっていたのかもしれない。もちろん正しい。ただすべてがすべて正しいというわけではなく、解釈によっていろんな見方ができるということが大変勉強になった。

また、別の観点でもこの「解釈力」を考えるきっかけになった出来事があった。それは「社会」というフィールドで通関した。研究畑とは少し遠いかもしれないが、同じような事象が起きた。私は会社設立してからというものの、指示をすることが増えたし、決定することも増えた。そしてそれに慣れてきた。主導権が自分にある状態で会話をすることが増えたのだが、自分が伝えたことに対して、全く私の意図していない解釈をすることが出てきた。
はじめは伝え方の問題かと思った(多少はあると思う)が、答え合わせをすると、伝わってはいる。ただ、その伝えられたことを実行に落とし込むときに、私の伝えたことの解釈を自分なりに解釈して私の意図していない実行プロセスを踏んでしまうのである。
もちろん、伝え方の工夫次第でこの問題は解決できると思う。私の意図していない解釈をした人を責めるつもりも全くないが、逆を言えば、私から指示を受けた人の解釈が私のイメージしたものであれば、それは伝え方の工夫もいれない。むしろ雑に伝えてもきっと解釈をうまくしてくれるから私としては楽だ。

「どういう考えでその解釈になったんですか?」という出来事があったので、考えてみた。私は「解釈は技術だ」と一旦結論づけた。そしてこの技術が高い人を「解釈力が高い」として、これから解釈力を高める私なりの考えを2つ書く。

まずは、自分なりの解釈を言語化すること。定性的なデータでも、定量的な結果でも、まずは自分はそのデータをみて、どう解釈したのかを言語化する。必ずしも結果とイコールになることはないと思っている。

例を挙げると、とある研究では「〇〇が睡眠に良いという結果が得られた」というデータがあるとする。結果を見れば、「〇〇は睡眠に良い」が、ほかの影響を考察したり、被験者の数が少ないなどエビデンスレベルの話も出てくる。特にマーケティング要素の強い研究データ(研究と呼んでいいのかわからないが)の中にはコントロール群がないなんてことも。
ここから出る考察は「〇〇は睡眠に良い」というにはデータが足りない。ということや、〇〇以外が睡眠に影響していたとも考えられるということがある。

そして私の考える解釈は、この考察から「〇〇は睡眠に良くない」という解釈になるのか、「〇〇は睡眠に良いかもしれない」という解釈になるのか、だ。どちらも間違ったことは言っていないし、研究データの考察から得られる解釈としては間違いではないと思うが、この2つの解釈は別のことを言っている。つなげて「〇〇は睡眠に良くないかもしれないし、良いかもしれない」ともできる。
つまり「解釈」には明確な答えはないが、次の行動プロセスを決定するうえで非常に大切な役割を担っているということが言いたい。

「〇〇は睡眠に良くない」という解釈をすれば、「○○をしない」ということにつながるし、「〇〇は睡眠に良いかもしれない」という解釈をすれば「〇〇をする」ということにつながる。

日々いろんな物事を行ううえで意思決定をするが、少しでも精度を上げるためにも、解釈の技術を上げる必要がある。そのために私はこういう解釈をしたというのを言語化することを癖づけることだ。

もう一つは「言語化した解釈を伝える」ことだ。
解釈が必ずしも一致することはないが、解釈が一致しないことで議論が生まれ、新しい形が見えてくることもある。ひとつ前に書いたことを引用すると、この議論によって次の行動プロセスが変わることもある。

自分の解釈の仕方から導かれる行動よりも、それ以外の解釈から導かれる行動の方がより優れているということもある。

それから私は研究発表を聞いても、それはどういうことか考察を聞き、そのうえで解釈をするようにしている。論文を読んでも本を読んでもそうするようにした。ただ出てきたデータを眺めるのではなく、考察し、行動に移すための解釈をする。この解釈が人と違っても、マイノリティでも、データを出した人と違ってもいいと思っている。そもそも解釈は違えど、データは同じだから。

これに付随して2冊本を紹介したい。

1つは少し前に読んだ本だが「The Number Bias 数字を見たときにぜひ考えてほしいこと」という本だ。

「The Number Bias 数字を見たときにぜひ考えてほしいこと」

タイトルに惹かれて購入した本だが、まさにそのままの内容で、データをどう見るのかについて書かれている。このデータは何を表しているのか、正しく読み取るにはどうしたらいいのか。という本だが、この読み取るに加えて私は次の行動を意思決定するための解釈を加えたい。

もう1つは最近出版された「人生工学」という本だ。

「人生工学」

この本に関しては私のお世話になっている三神さんが出版された本なので購入したが、内容も非常に面白かった。
特に「科学を疑う」というところがタイムリーで突き刺さった。私たちの身の回りは様々な科学からできています。しかしその科学というのは日々アップデートされ、新しい研究が常にされていて、今の常識とされていることが次の日には変わっていることも考えられます。

とてもシンプルな解釈をすると、当たり前を疑うことも大切ということが大切だなと。

とても冗長な文章になってしまった。
まとめると、3月はこの解釈力を考え、当たり前を疑い、どのように物事を解釈していくかを鍛えていった。
4月はまた新しい気づきがあれば、積極的に取り組んでいきたいと思う。


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