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亡き祖母へ、頭を撫でるってなんでしょうか

火曜の21時前、溜まった情熱大陸の録画を半分に見ながらひとり宅飲みをしてほろ酔いで書いています。

祖母が少し前に亡くなりました。

祖母の葬式に見えた方々の多くは、祖母の兄弟・姪・子ども・子の友人、孫、と歳にかかわらず、みんな頭を撫でていました。

私はそれができなかった。
ずっと、ずーっと頭を撫でられる側の立場であったから。
何を思って撫でていいのかわからなかった。

意識のなくなった人や亡くなった人の頭を撫でる行動は、珍しくも咎められるような行為でもないはずです。
でも私はできなかった。

「頭を撫でる」という行為にどんなイメージを持つでしょうか。
家族では年上から年下へ、護るものから護られるものへ、あるいは恋人や友達など対等な関係でも行われるでしょうか。相手に「かわいいね」なんていって相手が愛らしいことを伝えるのでしょうか。

私にはどうしてもそんなイメージが強くて、私の中でいつも笑って、悲しい顔や苦しい顔を見せない祖母に対して「頭を撫でる」ことはできませんでした。
たとえ支えがなくては歩けなくても、寝返りすら打てなくなっても、声が出なくて話せなくても、私にとって祖母は「自分を護ってくれる人」だったと思います。

きっと祖母は私が頭を撫でても怒らないと思います。(死者の気持ちの創造なんてみっともないでしょうか)
私は幼いころ、おばあちゃんと一緒にいたことが当たり前すぎて、頭を撫でられた記憶がありません。撫でてもらっていたのでしょうか。
おじいちゃんと川の字で寝ていたこと、豪華な朝ごはん、並ぶ大皿の晩御飯、昔乗っていた車、どうでもいいことしか覚えてない。
私が初孫で、孫の誰よりもたくさん写真が残っているのに。

もしもあの世があって、話すことができるのならば、私の頭を撫でたのかどうか、撫でたのなら、それはいつで、何を思っていたのか教えてください。

追伸
初孫の私が結婚するまで死ねないと、娘である母に言ったものの
「男っ気がないし、結婚する気もなさそう、あきらめな」と言われたそうですが、彼氏ができました。いい人です。
あと、あのとき一緒に見ていた岡田監督が返ってきた阪神タイガースが日本一になりました。



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