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一人称の問題

導入

皆さんお久しぶりです。
おはようございます、こんにちは、こんばんは。ミコトでございます。
前回私が文章を書いて早2か月。時間の経過の無慈悲さに少し戦慄しました。(ただ文章書くのをサボっていただけですが…。)

さて、今回書こうと思っていることはタイトルの通り、「一人称」についてです。要するに「私」「僕」「俺」といったやつですね。
なんでこんなことを書こうと思ったかというと、この前上がった記事を書いてくれたRickさんと雑談している時にそれなりに盛り上がった話題だからです。(露骨な自己紹介記事への誘導)

私(ミコト)が使う一人称へのイメージ

皆さんは「一人称」何を使っているのでしょうか。といっても場面によって変わりますよね。例えば、仕事では「私」で、友人間では「俺」とか。逆にずっと「私」だけの方もいらっしゃるかもしれません。

私の場合、仕事・同輩後輩・親しい友人には「私」、先輩・交流の少ない友人には「僕」、家族には「自分」を使う傾向があります。あくまで無意識下での話なので、実際とは異なるかもしれませんが…。
これらには、れっきとした理由があります。
※以下、筆者の一人称に対する偏見を挙げます。ご注意ください。

「私」に関しては、フォーマルな要素がありこの意味では他者と"心理的距離"を置く作用があると感じています。そのため仕事や同輩・後輩など、フランクに接する訳ではない場合に使いやすい訳です。逆に、社会的立場が"対等"であることも示していると感じられるため、気の置けない友人には「私」を使います。
「僕」に関しては、下僕といったな意味から、社会的立場が"下"であることを示しているように感じられるため、仕事以外で先輩と接する際や相手を尊重する意を込めて「僕」を使います。
「俺」に関しては、社会的立場が"上"であることを指しているように感じられるため、私は使いません。(友人に対し冗談で使ったりはします。)
「自分」に関しては、消去法で使用しています。「私」「僕」「俺」(及びその他一人称)のイメージにそぐわない場合、仕方なく使うといった感じです。

それ以外にも、「儂(ワシ)」「ワイ」「うち」「ミコト(自分の名前)」などもありますね。私の友人の中には変わった奴もいて、「小生」を自称としていました。(後にも先にも「小生」は彼だけです。)

一人称とジェンダー

色々と私の偏見を垂れ流してしまいましたが、話を戻しましょう。
この「一人称」大抵の場合、「性別」によって使い分けられることが多いですよね。男性は俺、女性は私といったように。
更には、「二人称」に関しても同様に、男性は「○○君」、女性は「○○さん」とされる場合が多いように感じています。これはやはり、一般に私のような"人称への偏見"があるからではないでしょうか。
英語などの多くの言語は大抵一人称(単複や格は考慮しない)は1通りです。

英語: I, 仏語: je, 独語: ich, 伊語: io, 露語: я, 中国語: 我 など

それゆえ、外国語の多くは人称による「社会的立場」を気にする必要は、日本語に比べると少ない訳です。逆に、日本語を使う限りその"しがらみ"を払いづらいのです。(主語が大きいと怒られるかもしれませんが。)

一人称の多さの利点

だからといって、私は「英語こそ至高」とは思いません。女性が「俺」といっても、男性が「あたし」と言ったって別に良いんです。

一人称による「社会的立場」を気にすることで、自分自身をどのように扱ってほしいのかが容易に表現できるのです。つまりは自己同一性(アイデンティティ)を確立しやすいということではないでしょうか。

先述したように、ある意味"偏見"的な要素を持ち合わせてしまっていますが、それを上手く利用していくのが重要なのではないでしょうか。
私はド理系なので、言語に関して詳しい訳ではなく、的外れなことを言っているのかもしれません。でも、ニトログリセリンを狭心症の薬として使うのか、爆薬として使うのか、といったものと同じなのではないでしょうか。

最後に

ジェンダー(社会的な性別)が問題となっている今、ジェンダーを表現する"日本語"にも向き合わねばならないのかもしれません。"日本語"を上手に使うことで、問題が無くなっていくことを強く願います。
社会的問題への考察を以前キャベツさんもしていらっしゃるので、そちらの記事も併せてご覧ください。(露骨な誘導2度目)

言いたいことがいっぱいありすぎて収拾がつかなくなってしまいました。ごめんなさい。(なんと約1900文字!?)もう少し自分に文章をまとめ、伝えたいことを明確に伝えられる力が欲しいなとつくづく実感させられました…。
(ミコト)

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