他人の心

建築基準法は・・・

建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする

と第一条に謳ってあります。
法律と言うのは曖昧な部分が多く、解釈の仕方ではいかようにも取れるものがたくさんあります。建築基準法もそういう曖昧な部分が多いので、解釈の仕方で役所とぶつかったり、悩むことは日常茶飯事です。

ここ3~4日、建築基準法の解釈で悩んでいました。業界では「曖昧な条文」「難解」と言われる防火に関する条文です。工事費、工期に影響を及ぼすことなので、安易に結論を出して「ハイ、こうして」「違ったからやり直してよ」と役所みたいに無責任に現場に指示することはできません。
完徹に近い状態で色々な解説書を読み、ある程度自分の中では結論が出ていたのですが、いまいち決定できずにいました。

昨日、知り合いの建築士に会う機会があったので、その事を聞いてみました。
「ああ、あれねー、僕はこれこれこういう風に現場に指示したよ。しなくても良い事だけど、曖昧な事は安全側に、と言うのが役所の考えだから、そうしたけど、完了検査では見もしなかったけどね。」

彼の言葉で決心がつきました。彼の現場への指示は絶対に余計な事だと私も思いました。でも、もし、万が一、完了検査でやり直しでもさせられる事になったら・・・
ちょっくくらい費用が嵩んでも、完成後のやり直しの費用に比べればずっと安くで済みます。
不本意ながら、安全側で現場に指示しました。
現場からの「めんどくさい」「そこまでしないといけないのか?」と文句のひとつふたつは覚悟していましたが、「その方がうちらも安心です。それでやらしてもらいやす!」と快く引き受けてくれました。

ありがたい現場の人たちの言葉に感動した日でした。

次の日、現場に行くと、外壁をほぼ張り終わり、余ったサイディングを片付けていた大工さんに声を掛けました。
すると・・・
「最近のサイディングは質は良いけど、重くてたまらんよ。ちょっと持ってみい。」
と大工さんが抱えていたサイディングを持たされました。私も最近のサイディングの重い事は知っていましたが、これもお付き合い、コミュニケーションのひとつです。

「う~ん、重い重い、重たい・・・パソコンしか使わん俺たちには無理だわ!」
「だろ~う?60才過ぎでこれを張るのはしんどいのよ~・・・・でも、それが俺たちの仕事やからね。」

そう言うと笑いながら、またエッチラオッチラと片付けを続けていました。

隣の芝生は青く見える。人間て、傍から見ると他人の良いところは目に付きますが、苦労は見えないし、なかなか見ようとも理解しようともしません。

コロナウイルス感染者の中には、医療従事者に暴言を吐いたり、ツバを吐きかけたり、傍若無人な振る舞いをする人がいるようです。また、平気で飲み歩く人、遊びまわる人、そんな人たちがいる以上感染は納まらない気がします。感染と言うリスクが無ければ、そんな連中を助ける必要などあろうはずはありません。
医療従事者の方々は本当にお気の毒としか言いようがありません。
そんな連中は必ずおのれの愚かさに気づき後悔する日が来ると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?