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そして見果てぬ世界へ。(2)

 第一回目の続きです。第一回目ではKOF(SNKシリーズ)と、後の自分の人生に多大なる影響を与えたシャイニングフォースIIIとの出会いまでを書きました。
 今回もまた長いと思うので、見出しをつけつつ書いていこうと思います。
 休み休みしながら、読んでくれたらうれしいかなと。

幕開けは地元から。売れなくて東京進出へ

 でまぁ、発売日に買って、遊んでみたらこれがまたすごい話が壮大で、出てくるキャラクターは前作ホーリィアークの倍以上の異種族キャラが勢ぞろい。ケンタウロス、エルフ、キャントール、鳥人などなど。
 前作ホーリィアークは3Dダンジョンロープレでしたが、シャイニングフォースIIIはシリーズ1,2同様にシミュレーションRPGとなっており、中の人はこれが人生初のシミュRPGとの出会いでした。
 買ってその年の年末にはもう、中の人は「SFIIIで同人誌を出すしかない!!」と心の中で決定打を打ってましたね。

 知らない人のために言いますと、シャイニングフォースIIIは、シナリオ三部作構成となっており、シナリオ毎に主人公が変わります。シナリオ1はシンビオスという共和国の領主の子息、シナリオ2はシナリオ1と敵対(といってもゲーム当時は冷戦状態でした)している帝国の第三王子メディオン、シナリオ3は1~2の主人公と少なからず関りを持つもののどちらにも属さず、中立の立場であったが、とあるキーパーソンを守りつつ他二人と同じ志で世界を救う軍を率いる一介の傭兵ジュリアン。

 お察しが早い人はわかりますが中の人のハンネはこの主人公ジュリアンからきてます。SFIIIで最も好きなキャラであり続け、今もそうであるキャラクターの名前を拝借しているわけですw

 そして98年7月、中の人はまたしても地元イベント(前回言ったイベントと同じ企業がやってるやつですw)で初めてSFIIIの同人誌を発行しました。因みに発行した同人誌については、中の人が閉鎖させてはいますが一応公開は続けているサークルHPに一覧が載ってたりします。最初の頃の方はすさまじく絵が下手糞な上に、ページもかなり古いHTMLエディタで作っているため所々崩れてはいますが、リンクは生きているのでもし見てみたい! という頭がイッちゃってる人がいましたら、下のリンクからどうぞ。

 因みにここでは発行誌一覧と書いてますが、全部はこのページに載せておりません。サイトの更新を止めたせいですww実際はこの後4冊程度作ってたりします。

 7月に初めてのSFIII本を作った時は、シャイニングフォースIIIのシナリオ2も発売され、残りのシナリオ3が1998年9月23日に発売という、最後はどうなるのか期待と不安にかられつつ出した本でした。
 が、これがちっとも売れなかったのです。いや、売れはしたのですが、発売されてタイムリーにも関わらず手に取ってくれる人が数人いるかいないかの状況。
 あれ? って思って、他のイベントにも行ってみました。けど、やっぱり知名度がないのか、殆ど手に取ってもらえませんでした。
 絵が下手なのは千も承知なので、そこらへんは抜いたとしても、です。

 それでも知っていて、好きだと言ってくれる人は会場に来てくれたりしましたが(確か中の人19歳で相手は14歳だったと思う・・俺が男なら案件発生だ(笑))まぁそういう若い子は大体旬のジャンルに飛びついてはすぐ離れるというのが鉄則なので、すぐにその人も別ジャンルに移動していったと思います。当時流行ってた別ゲームってなんだっけ。確かテイルズオブ~の何かが流行ってたなぁ。タイトル知らんけど。

 何度かイベント会場を変えてもほとんど変わらなかったため、中の人は心の中で決めました。
「東京のイベントに進出しよう」と。

 しかしこの時まだ中の人はコミケに申し込むことをしていません。というか、コミケの存在は知ってましたが、存在を知ったのは中の人が小学高学年の頃、姉貴が好きだったサムライ〇ルーパーという作品でコミケを知っただけ。
 自分は地元イベントしか行ってなかったので、成人になる当時迄コミケが続いているとは知らなかったんですね。あっはっは。(姉もコミケに参加をしようとはしていなかったので尚更かな?)
 
それに中の人は親が厳しく、98年初期は就職活動しつつ同人活動してましたが、親が東京ビックサイトまで行くのを許してくれませんでした(当時)。まぁでも中の人も小遣いが少なすぎて行けなかったというのもありますね(汗
 
そういや親が変に心配してイベント参加前に、下見と称して自分と母親と姉貴でビッグサイトまで行ったなあ。当時はゆりかもめしかなく、りんかい線は通じていないころでしたwww

初めてのコミックライブ参加からシンクロニシティは始まっていた

 なんだかんだで東京のイベント(コミックライブ)に初参加したのは99年1月あたりだったと思います。
 初めて一人でゆりかもめに乗ってイベントに参加した時、すさまじい衝撃を覚えました。今まで地元イベントでは自分しか扱ってなかったSFIIIで本を出しているサークルが居たんです。本当にあれは衝撃でしたね。
 それと同時にもっと早くここに来るべきだったと後悔しました。そんな中設営をしようと、机の上に乗っかっているチラシ(印刷会社とかの)をまとめていた時にふと、一枚のチラシに目が行きました。
 それはその年の5月に、シャイニングシリーズ(ホーリィアークやIII含む)のオンリーイベントが開催される、サークル申込書がついたチラシだったのでした。

 これまた軽く衝撃を与えられ、中の人の脳みそは地球3周くらいしたんじゃないかな?(爆
 勿論帰ってからすぐに申込書を送付し、イベントの参加にこぎつけました。こんな偶然があるのか、と中の人は思いつつもその偶然はまるでSFIIIのシナリオシステムにあるシンクロニシティなのではないかと一人浮かれまくってたのが懐かしい。

 99年4月に中の人は新社会人として会社に配属されました。
 その翌月にオンリーイベントは開催され、今まで地元イベントとかではちっとも売れなかった同人誌が全部売り切れて机の上がからっぽ状態になったのも、はっきり昨日のように覚えています。
 その時に主催者さんと話したり、本を買いあさったりとオンリーイベントはとても楽しいものでした。同人活動始めて初の黄金期だったような気もします。
 この頃、合同誌を作ろうと言うことでイベントで知り合った人や、コミックライブ内での募集ページでSFIII合同誌の呼びかけもしていました。全国から問い合わせが来たのもすごく驚いたし、とても嬉しかった。
 オンリーイベントは一度きりではなく、主催者を変えて2007年? まで続きました。

 オンリーイベントだけではなく、コミックライブやコミックシティなどの一般イベントにも積極的に出ていました。今では考えられませんが、当時のコミックシティの参加料って8000円近くしてたんですよ。知らない人も多いでしょうがww(当時安くて6000円台)
 今は安くなったもんだなーと思ってますけど・・自分が参加してない時期に何かあったんでしょうかね?w

 で、また話が脱線しましたけど、そのシティ系イベントで中の人は東京を飛び出し、名古屋のイベントに初参加したのは99年11月の事です。それから8年の長い間、北は新潟、南は沖縄まで全国主要都市を行脚? するイベント参加を中の人のサークルで勝手におっぱじめました。地方巡業計画と題してなかったかな。
 なんで地方に行ったのかと言うと、大阪はインテックスがあるため除外しても、オンリーイベントで割と地方から来てた人がいて、そういう人たちと親しくなって会いに行くついでにイベント行くか! みたいな流れになってました(笑)。まぁ若かったからでしょうけどね。
 それに当時はまだまだネットの普及は今とは程遠く、リアルタイムでやり取りなぞまだまだ難しい時代でした。PCの電子メールやホムペの掲示板、チャットサービスなんてのもありましたけど、リアルタイムで落ち合うのはまだまだ難しい時代。イベント会場での交流が何よりも楽しい時期でした。
 だからこそ遠くてもイベントに行って、そこでシャイニングフォースの話に花開かせたりする。そういうのがとても楽しかったのです。そんなイベント会場などで知り合って未だにTwitterなどで相互フォローしてたりリプライを返したりする知人友人が残っているのも、当時が如何に楽しく、そして多くの人との繋がりをシャイニングフォースを通じて作れたか。
 イベント以外でも、中の人は仕事でそれなりに稼いでいたので、遊びに行くついでに名所めぐりやレトロゲーム機探しなど、地方の友人に会いに行っては遊んだりする事も少なくなかったです。もちろん向こうがコミケでやって来る時は東京を案内したりと、そういうイベント以外での交流がすごく楽しかった。

 コミケの名前が出てきたので。
 中の人が地方の一般イベントなどに参加している間、そこで知り合ったサークル主と友達(今でも20年近く付き合いをしてるので親友なのだろうか?)になり、その人の手伝いあってコミケの申し込みをやっと開始したのが2000年の夏コミ終わったアフター中ででした。
 その年の冬に初申し込みをしたのですが、そっから中の人は連続6回落とされて、コミケ初参加は2003年夏コミまでお預け食らいます(笑)
 本来コミケは3回連続落とされると救済措置か何かで次は受かる仕組みになっていたらしい(当時。今は不明)のですが、何故か中の人は全然受からず。まぁ、そういうのもあってコミケよりも一般イベントに参加したり、地方に出向いたりする事に繋がったんですね。
 5回連続で落とされたときはもう本気で、コミケ申し込むの辞める。って友人に言ったんですけど、もっかい申し込めよ、と諭されて渋々申し込んだら受かった、という経歴があります。なので割とコミケからは見放されてましたし中の人も見放してました(爆笑)。
 まぁ、今現在はジャンルを変えたおかげもあってか、2012年冬から今年のGWコミケ迄連続当選しているので、何があったのかわからないんですけどねー。

 そんな楽しいイベント活動でしたが、2005年辺りになると、オンリーイベントのサークル参加数も次第に少なくなりつつありました。
 そして2007年のオンリーを最後に、一般イベントでシャイニングフォースで活動する人はどんどん減っていったため、中の人も2007年を最後に一旦はシティ系イベントに参加するのを止めました。
 それからはコミケ一択に絞り、細々と本を作っては出してましたが、売れ行きはどんどん減っていきました。まあ中の人は印刷本とかは作らず、殆どコピー本ばかりだったので、懐は然程痛まなかったのですけどね。

 2008年ごろになるとTwitterが出始め、リアルタイムでの交流がしやすくなってきた頃ですが、まだまだTwitterを同人活動で使う、というのはなかった頃。
 当時のSNS(Mixiです)を通じて自分の活動を知った人が、ちょろちょろと出てきました。一人は自分と同じく同人活動を開始し、もう一人は自分の活動を知ってコメントをくださった方で、その人は当時シャイニングフォースを作っていたゲーム会社に勤めていた方(もちろん開発にも携わっています)でした。こんな偶然があるのかとまた頭の中の脳みそが地球3周分回ったと思います。
 結果的にはその方とは今後、別ゲームで同人活動をしてる所から再度繋がりを持つので、まぁ何がきっかけになるかわからん話です。

20年を通して活動してきた先に見えたものは、「フォースに導かれていた」という絶対的自信

 え? フォース繋がりだけど違うって? 確かにそうだなww

 前回の記事の最後に、20年続く同人活動の幕開け~と書きました。
 その通りで、中の人は1997年から2017年12月末のコミケまで、20年を通してシャイニングフォースIIIの絵を描いてきました。同人誌として初めてお目見えしたのは98年でしたが、ほぼ20年間ずっと、シャイニングフォースIIIを通して自分の同人活動を続けてきたのは間違いありません。
 その20年という、一人の人間がおぎゃーと生まれて成人式を迎えるという膨大な長い時間を、中の人はずっと見続けていました。発売日にゲームを手に取った時は19歳でしたので、39歳でシャイニングフォースIIIとしての同人活動は終了した、ということになります。
 勿論無駄に長い時間を過ごしてきたわけじゃありません。新作だってずっと待っていたし、新作が出ると信じて疑わなかったんです。
 でも結果的には新作は出ましたが、まったく畑違いの作品に変わってしまいました。
それが悪いとは言いませんし、自分も新作のシリーズの方はアニメを見たりして楽しんだりもしました。(そちらは絵師の名前を使って、T〇n〇シャイニングと呼ばれてますね)

 フォースとしての新作は出ず、代わりに別のシリーズ(ソウル1,2)が出てそちらは遊んだりしましたし、フォース1のリメイク(GBA版)も遊んだ。でもフォースの続編は出なかった。
 作った開発会社が後に任天堂のサードパーティーとなり、そちらで出したゲームも遊んだりしましたが、自分としてはシャイニングフォースとしての新作が見たかった。……いや、今でも新作は待ってますし、リメイク、リブート、Steamでの販売も待ってたりします(笑)。

 そんな新作の話が20年出ない事もあり、そして平行しながら、次の記事で出てくる海外ゲームでの同人活動が活発になってきたのもあって、中の人は元々決めていた通り。2017年の冬コミを持ってシャイニングフォースIIIとしてのイベント参加は終了しました。

 20年はやるつもりだ、というのは、かつてシャイニングシリーズのオンリーイベントを開催してくれた主催者さんと話した時言いました。
 その間までは新作が出るかもしれないから、自分ひとりになってもシャイニングフォースとしての同人活動は続けていく。と。

 あれっ。ってその時、思ったんです。
 このセリフ前にも言ったことがある。って。

 それは1999年、東京ビッグサイトでのコミックライブに初参加した時。
 当時カタログにはイベントレポートなるものがあって、中の人は初めてシャイニングフォースのサークルさんを見た! という興奮もあって、イベントレポートを書いて投函したんです。
 数か月後にそのレポートはイベントのカタログに載りました(この目で確認した)。

 そこに書いてたんですよねー。
「自分ひとりになってもシャイフォの活動は続ける」って。

 まぁ、ぶっちゃけ、一人になることはなかったんですけど(笑)シリーズとして扱っているのは自分だけになってしまっただけで。
 今も(今現在はコロナのせいでイベントはできませんが)別のシリーズで同人活動しているサークル様はいます。
 コロナのせいで長く会えてませんが、マイナージャンル特有の「全サークルいつも見知った人たちしかいない」というのがあるので、コミケで会って本を買いつつ近況を話したりするのが楽しいことの一つでした。ネットでも話すことはできますが、リアルタイムで会うのがやっぱり一番です。元気で過ごしているといいなあ。

 またまた話が逸れました。
 本当にたくさん、シャイニングフォースIIIを通じて出会った人や思い出がありました。後にも先にも今の自分を作ってくれたのは間違いなくこの作品が元なのは言うまでもありません。数々の出会いと別れを繰り返した中でも知人や友人として今も交流をしている方、コミケ会場で数年ぶりに俺を見つけてシャイフォをまだやってるんだ、と喜んで持ってない本を全部購入した方、たまたま中の人が世迷言? で作ってみたアクリルキーホルダー(見出し画像のやつ)を全部購入していった方(自分席外してて顔見てないからわからないんだ・・悔しい)、そして2017年冬コミ最後のシャイフォとしてのスペースでシャイニングフォースとして同人作ってる人がいたのだと喜び勇んできてくれためっちゃ若くてかわいい女の人(20台初頭と思われ)確か親御さんがシャイフォIIIにハマってて娘さんがそれを見て成長していたとかなんとか。
 そんな世代交代の話を最後のシャイフォとしての参加日に見れたのはなんといいますか。オビワン=ケノービがルーク・スカイウォーカーをフォースとして育て上げたのちに思った感慨深さ(と共にアナキンへの罪悪感?)とでも言いましょうか。最後の最後まで自分はフォースと共にあったのかもしれませんってそれはだから作品が違うから!

 こうやって書いてみると、本当に変な偶然と奇妙な出会いの連続で作られていた20年間でした。
 勿論今も同人活動は続けていますが、シャイニングフォースIIIとして活動を終了する2017年から5年前の、2012年1月。
 中の人はシャイフォIII以来15年ぶりに、衝撃的に同人誌を作るに至ったゲーム作品と出会います。

 それが3つ目の作品「The Elder Scrolls V; Skyrim」との出会いでした。

さいごに

 Skyrim以降の話は次で書くことにします。さすがにそれを書くと1万文字を超えそうなので。
 こっから中の人は和ゲーから洋ゲーへとシフトしていく事になるのですが、それはまた次回。

 ここまで読んでくださった方に感謝。長くてダレる文字ですいません。
 シャイニングフォースIIIは今でも間違いなく、自分の中での代表するゲームであり、自分を作ったゲームでもあります。人生に影響を与えたゲームと前回書きましたが、それがわかっていただけたら嬉しいです。

 それでは次で最後になるのかな。
 長い長い自己紹介ですが、最後まで付き合って下さったら幸いです。

 BGMはもちろん「そして見果てぬ世界へ(SFIII:PDサウンドテスト内タイトルより)」。


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