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ラグオルという名の惑星を駆けた日々を

#心に残ったゲーム

 ここ連回よく書いているゲーム記事。
 まぁ募集記事のタグにゲーム関連があるからなのだけど。

 自己紹介でゲームを語ったり、お勧めしたいゲームを紹介していない中、今まで取り上げたくても取り上げられないゲームがあった。
 それが今回心に残ったゲームとして挙げる「Phantasy Star Online(以下PSO)」である。

 何故今まで取り上げられなかったか。答えは簡単だ。
 サービス終了してもう十年経っているから。


 最も、今はその意思を継いでいると思われるPSO2があるから、今更古いオンラインゲームの事を話すのは、隙を見て自分語りをする人に等しい感じもある。
 それでも私の心の中では、心に残っており、未だにあの日々を懐かしむゲームとして、推したいから日記を上げた。
 当時を知っている人は懐かしみつつ、知らない人はどんなゲームなのかを想像して読んでいただけたら幸いである。


 きっかけは当時、同人活動をしていて某ジャンルで熱狂的に活動していた頃、その同人活動で友達になった中部地方の友人と大阪のイベントに参加する際だったと思うが、その時その友人宅に泊まり、見せてくれたのがこのゲーム。
 2001年ごろと記憶している。勿論発売当時はドリームキャスト(以下DC)版しか出ていなかった。当時コンシューマゲーム機でオンラインゲームなんてDCでのぐるぐる温泉か、出たばかりのPSOしかなかった…と思う。
 そこでその友達が言った一言が、俺のネトゲ人生を180度変えさせた。

「ジュリアンさんが好きな〇〇(当時活動していた同人ジャンルの作品名)のキャラクター作って遊ぼうよ」

 この台詞に私は「よし! 買う!!」と決め(笑)、イベントを終えて首都圏の自分の家に帰宅した翌日、ゲームショップ(今では秋葉原くらいでしか見かけないなぁ)でDC版PSOを買った。
 買って即オンラインにはつながず、オフラインで遊んでいたりもしたが、結局友達と遊びたい気持ちに我慢できず、家のネット用モデム(当時中の人は実家住みで、2階の自室にPCとモデムが置かれてあった。回線はなんとあの忌まわしいISDNだった(爆死))にアナログケーブル(LANケーブルなぞ当時はまだ普及の浸透はしていなかったのだ)を差して、1階のTVのあるリビングまでケーブルを階段経由で垂らした状態でオンラインプレイを楽しんでいた。今の時世では考えられないが、それでも普通にオンラインゲームが楽しめていたのだ。
 当時の回線速度と現在のデータ送受信量が相当違うというのもあるが、それでもラグさを感じることなく遊べたというのは驚異だと思う。PSOはそれほどまでに、コンシューマでオンラインゲームという敷居を低くさせてくれる要因にもなれたと思う。


 晴れてPSOの世界にログインできた直後は、ほぼ毎週末金、土の夜だけオンラインに繋ぎ、深夜まで友人たちとチャットで笑ったり、ゲームの世界でレベル上げにいそしんだりしていた。
 現実世界の同人仲間を引き入れたりして、コミュニティはどんどん広がっていった。と同時に公式の掲示板で募集をかけたりして、更にその輪は広がった。
 毎週末の23時以降に、決まったロビーに人が集まってくる。毎回繰り返される挨拶と、毎回違う会話の話題。誰かが遊んでいれば、その部屋(部屋を作って遊ぶMO形式のオンラインゲームだった)に入って飛び入りで参加して、そこでまた出会いがあって……そういう事を繰り返していくうちに、あちこちでギルドというものが出来ていった。ゲームシステム的にギルドを立ち上げることはできなかったが、同じ志や好きなものを通じて、人の輪が出来上がり、それがギルドとなって形成されたといった感じか。
 多くのギルドサイトができた中、自分もそのとあるコミュニティの輪に入って遊ぶのが自然となった。リアルで遊んでいた友人以外にも、滅多に会えない同人友達も引き入れて、まったく同人は関係ないが、好きな作品を通じて知り合った人もいて。
 そんな週末のテレホタイム(笑)が毎日待ち遠しくなった。
 リアルでは、毎週末会っている人とコミケ会場で半年ぶりに会ったりして、PSOの話に花を咲かせ。
 また、自分含め、当時のコミュニティの人たちがPSOの同人誌を発行して買ったり上げたり執筆ゲストをお願いしたりと、ゲームを超えた付き合いも増えていく。
 コミケやイベント会場では、大体もっぱら、
「気を付けて帰ってね、また週末ラグオルでねー♪」
 が通例だった。

 当時はネットがあるものの、今と大幅に違うのは、“リアルタイム“で交流することはまだ難しかった時代だった。
 だからこそ、オンラインゲームで週末決まった時間にログインし、遊び、また翌週まで会うのを楽しみに待つ……というのがものすごく貴重で、楽しくい経験だった。


 そこまで言うと、どんなに楽しいゲームなのだろうと思う人もいるかもしれない。
 けど、ゲーム性はいたって単調だ。森、洞窟、坑道、遺跡の4エリアをめぐるのみ。オンラインだと若干そこからステージが増えたりもしたが、オフラインで遊ぶのだとこの4つのエリアを、森からスタートしてボスを倒すと次は洞窟……といった具合に解放されていくシンプルなゲームだ。
 しかし難易度設定があり、ノーマル、ハード、ベリーハード、アルティメットと4種類の中から、ノーマルでエンディングを見ると次はハードが解放されていく、といった具合。多分今のご時世だったら間違いなく流行らない。なぜなら同じエリアをモードが違うだけで延々と廻るだけだから。

 それでも当時は間違いなく一世を風靡した。ゲームモードの難易度が上がるにつれてレア武器やレア防具の出現率が上がるのもあって、それらを狙って日々“潜る“という目的もあったにはあるが、やはり当時はリアルタイムで交流できるゲームというのに飢えていたからだろう。オンラインゲームというのが2000年初頭と現在の2020年では人にとってとらえ方が大幅に違うと思う。Wikipediaを読むとそこら辺は分かるかもしれない。
 そして今と違う点は、当時はオンラインゲーム黎明期というのもあって、出会う人は皆優しかった。初心者だった自分にレアを含むアイテムを数多く与えてくれたり、自分も与えたりした。友人同士でアイテムを交換したりもしたし、勿論悪い人(アイテム持ち逃げとか)もいるにはいたが、私は殆どそういう人には遭遇していない。
 チャットで話す事、シンボルチャットという画像で伝えるエモーションみたいなものを自作できるのもあって、そういうので人と交流したり、今では考えられない程、当時のプレイヤーは自分たちで少ないゲームのコンテンツを如何に楽しんで遊ぶかを考えてプレイしていたと思う。
 その一つにコミュニティでのバトロワ形式のトーナメントを開催したり、優勝者にはレアアイテムの武器をあげたりとか、年越しと年明けには今のZoom飲み会ならぬPSOでのロビーでチャット飲み会もやったりした。そういう創意工夫を自分たちでこしらえて遊ぶプレイヤーが多かったのだ。
 だからこそ、PSOは、コンテンツこそ浅かったものの、プレイヤーのプレイスタイルやコミュニティの形成によってい広がりを見せ、PCやGC、Xboxまで普及していったのだと思う。
 因みに、サムネ画像のメッチャボケボケしている画像は、当時DC版で撮ったスクリーンショットである。今のゲームとどれほど画質の差がひどいかがよくわかりますねw


 自分がラグオルを旅するパイオニアIIを離船して、もう十数年の月日が経ちました。
 おおよそ5年ほど、DC版のPSOを遊んでいたと記憶しています。総プレイ時間は1600時間弱だったとも。
 メインで使っていたキャラクターの「Julian_M」はレベル156~158位で止まったまま、数年前DCを起動した際にDC本体がぶっ壊れたため、二度とプレイできなくなりました(爆死
 
そう、当時友達に作れるといわれて作ったきっかけのキャラクターは自分が20年、同人活動を続けたシャイニングフォースIIIというゲームの主人公の一人、ジュリアンでした。
 それから長い間を経て今現在まで、キャラクターを作れるゲームでは大体、ジュリアンを作って遊んでます。(ここ最近はFO4のマクレディに傾倒しかけてますが・・w

 いつの間にか長い時が経ってしまいましたが、当時PSOで同じパイオニアIIに乗船していた人たちのうち、僅かながらも繋がりを保っている友人、知人は今も自分の周りに居たりします。Twitterやコミケなどで、今でも自分の周りにいる大切な人たち。
 そういうフォロワーさんや、当時同じくラグオルを駆け巡った同士達が今もこの広い世界のどこかで、生き続けていると信じて。
 またどこか別の世界の空や、現実の下で会えるといいなぁ。なんて。

 久しぶりにPSOのOST聞きながら聞いてたら感慨深くなったので。
 この辺で。

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