わんどろまく

昇華するために言おう、そしてまた描こう。

 こんばんわ。ジュリアンです。
 今回は、つい先日考えさせられる記事をNoteの方で見つけて、そのことについてTwitter上でも発言したのですけど、色々考えてみるとやっぱりもう少し掘り下げて発言してみよう、という事で書いてみました。

 まず今回の記事を書くにあたって、見つけた記事がこちらです。
 勝手に引用してしまい申し訳ない・・

 要約すると、絵を描く事や同人活動でTwitterやSNSで公開する事に対して、絵の上手さや話の作りの上手さよりも交流を重視しなければ誰にも見向きもされない、というものだ。
 そしてその内容を読んだうえで、ここ最近の絵描きや同人活動の周囲が如何に昔と変わってきているか、そしてこれが一番驚いたのだが、「どこのジャンルも然程変わらない」という事実に気付いたことだ。

 せっかくなのでここで、私の事を少し書かせてもらおう。
 私は18歳で同人サークル「すらっぷすてぃっく百貨店」を立ち上げた。個人サァクルだ。
 同人活動というものは自分が小学生の頃、当時私の姉は今でいうアニメオタクで(多分今も変わってないと思う)、小学校の友達と当時女の子も男の子も好きだったバトル漫画「聖闘士星矢」にハマっていた。勿論自分も例にもれずハマっていた。ただ自分はそのころそれに対して話せる友達はいなかった。いじめられっ子だったせいだ。
 姉は対称的に友達が多かったため、友達から当時の同人誌アンソロジーコミックを買って読んでいた。その頃、二次創作で本を出せるという人たちの事を知った。私も姉も絵を描く才能はあったが、姉は模写がうまく(ここら辺は昔の記事にも書いたと思う)、自分は個性的な絵を書いていた。だからキャラに似せて絵を描くと大体周りからヘタクソと言われていた。
 姉が中学生になり、自分が小学校高学年~中学生になるころ、姉は当時のオタク女子が挙ってハマった作品「鎧伝サムライトルーパー」にドハマリしていた。そこでも同人アンソロジーを買って自分も読ませてもらっていたが、こういう二次創作で本を出せるイベントというのがコミケというものを知ったのがこの頃だ。
 コミケに行ってみたいと思っていたが自分の両親は都内に中学生が出るもんじゃありません(今なら酷い仕打ちだなこれw)、という人たちなのでコミケに行けるようになるまではなんとあと5年程度待たなければならなくなる。しかしその間にコミケ以外の一般イベント(今でいうコミックシティやスタジオYou開催のイベント)が自分の住む地方でも開催されるようになった事もあって、姉が一足先に同人サークルを立ち上げた。一人ではなく友達数人とだった。
 結局姉はなんだかんだでやめてしまうのだが、自分は未だに続けて今年(2020年3月末)で24年目を迎える。

 当時はイベントに出られることは名誉な事だと勝手に思っていた。テーブルのこちら側(外側)とあちら側(内側、サークル主が座っている側)との隔たりに、自分もいつかあちら側に座って本を出して売ってみたいと常々思っていたものだ。18歳で発足した当時はなしのつぶての売り上げではあったが、イベントに出る事は楽しかった。
 インターネットもリアルタイムでの交流もない時代、イベントに参加してみないと隣が誰なのかすら分からない時代、手さぐりで始めた活動は色々あったがとても楽しかった。本を出して、その元の作品の話をして交流する、という事に私はすっかりのめり込んでいた。絵は相変わらずヘタクソの極みだったが、それでも買ってくれる人はいたし、そういう人達との交流は何よりイベントでの醍醐味だったのだ。

 けど、今は違う。リアルタイムにサークル参加者の動向が見れるし、新刊のサンプルも読める。何だったら作者にリプライを飛ばして本の感想も言える。
 そういったリアルタイムで何もかも見れるようになったのと同時に、リアルタイムの弊害が出てきたな、と思い始めたのはここ5年程だろうか。

 交流するという言葉が、昔と違う意味になりつつあると思い始めたのは。

 絵を描くのが好きな人は、絵を描いてネットの海に投げる。反応は様々だが、その反応が交流の有無によって変動するというのが加わった。つまり、絵描きは交流というものをしないと、そもそも評価が乗ってこないという付加価値が加わったのだ。

 簡単なように思えるが、これはとても難しい事だ。

 まず何が難しいかというと、絵を描く人が万国共通、交流が好きだという訳ではないからである。絵というのは元来、黙々と作業をするものだ。自分は高校時代、美術部にいた時期があるが、大体の人は絵を描いている時はカンバスと向かい、黙って黙々と絵を描いていた。たまにちら、と対象物に目線をくれるだけで、あとはひたすら黙って描いているだけである。休憩時間に雑談して、また絵を描いて・・という流れの人が多かった。そういう方は大体ちゃんと絵と向き合っていた。雑談ばかりの人はむしろ作品をあまり仕上げていなかった気がする。
 これをSNSに落とし込むと、絵を描きながら誰かと交流しているという事だ。まぁ、絵を描くという作業以外で交流する人もいるだろうが、同人活動をしてる人は大概、社会人が多いだろう。会社でTwitterにへばりついていたら? 首になるのがオチだ。
 私もそうだが、一日の流れはフルタイムで勤務(たまに残業)し、帰宅して晩御飯たべて原稿に取り掛かってノルマをこなしてお風呂に入って床につく、の流れが多い筈だ。一体この流れにどうやって交流する時間が設けられるというのだろう。

 最近よく掲示板で聞く「互助会」というのはその交流の行きつく果てみたいなものじゃないかと思うようになってきた。
 お互いに助ける会、と聞こえはいいが蓋を開ければ中のいい人たちが輪になっているだけで、輪の外にいる人には目もくれない、というものだ。ムラ社会みたいなものか。
 自分(はあなたの絵に反応してRTイイネという)反応するからあなたは自分(の絵に対して)反応してね、という事らしい。これが現代版・交流というものなのかーと思うと、なるほど、お互いにWinWinな関係がいいんだな。
 でもこれはお互いが好きなジャンルが一致している場合のみ有効な手段であって、どちらか一方が別のジャンルに移動したら成り立つものなのだろうか?

 そういう事を考えると、このご時世で同人活動(もしくはインターネットで絵を広めてもらおうという行為などなど)を始めようものなら、画力と経済力(金がなければ本は作れませんね・・)と交流というコミュ力が必要という事になってくる。
 上記の引用した記事元にも記載されているが、

「横の繋がりがないといろんな人に見てもらうためのリツイートしてもらう土俵にすら立てない界隈、みたいな表現の方があってる気がする。
もしくは誰もが認めるほどの圧倒的な画力がないと」

 絵描きに課せられたノルマが、画力、話を作る力などに加えて増えてしまった訳だ。

 ここまで長々と書いてきたが、自分はどっち側なんだというと、土俵にも立てない側の人間です。
 自分は土俵の袖から、土俵に立ってピースサインを送っているを何人も見てきました。そういう方たちはちゃんと交流という繋がりで土俵に上がってピースしている。
 でもその土俵は交流という横の繋がりで作られたそれであって、絵の上手い下手は関係ない。

「ああ、絵を描くのって、純粋に描いているだけじゃダメなんだな、
 今のご時世、描いている者同士で繋がらないと、空気扱いなんだな」

 これから先、同人をやってみようかな、絵を描いてみようかな、と思う人達がこう思ってしまうんじゃないか。絵描きは絵が上手く、交流もばっちりで、セルフプロデュースも出来ないと続かないんじゃないかと。
 趣味なのに、気楽に息抜きをするためのものが、苦痛に変わってしまうのではないかと。

 私は四半世紀やっているのもあって、互助会とかはあまり興味もないし、常時Twitterに張り付いていられるほど暇人でもないし、絵を描いている時はどうしても孤独な作業になります。
 だから自分のやる事には限界があるのも分かっています。
 それでも反応を下さる人たちはちゃんといます。
 多くはなくても、ちゃんとそこにいるのはわかっています。

 そんな土俵に立てない私でも、コミケでは常連さんも来てくださいますし、そういう方がいるだけでいいな、そう思うようになりました。
 土俵には生涯、立つことは出来ないでしょうが、同じ境遇の人達がいる事を知る機会は、今回こういう記事を書かせてもらうきっかけになりました。
 だからこそ、絵を描くのを諦めないでほしいです。ぶっちゃけ、交流だとか横の繋がりが大事とかいいますけど、誰もが常時Twitterに張り付いている訳じゃないのだから、反応出来ない時だってあります。それでいいんです。

 SNSに疲れた時は、まず離れるのが一番。
 RTとイイネの数は、イベントで本が売れる数と必ずしも一致はしないので(経験則上)、RTとイイネという数に惑わされず、今後ものんのんだらりと同人活動ゆるゆるやっていきたいですね。

 ライフワークのレベルに突入しちゃってるからね。うん。

2021.2.17追記
この記事の認知度が一年で割と多かった。そしてこれを書いてから一年の間にも色々と同人界隈の在り方が変わった。
ネットでのオンラインイベント開催、通販事情など色々と問題も出てきたと思う。そんな一年を通して見た続編の立ち位置になる記事を書いたので興味がある方は読んでみてほしい。