躁鬱病になって良かった4つの事
こんにちは!隆/yutakaです。
(久しぶりに挨拶をしっかり書いてみました)
noteやTwitterでは何度となく紹介させてもらっていますが
私は双極性障害になって7年目になります。
最近は元々担当してくれていた先生が非常勤だったのですが
その先生が大学病院に専門になってしまって
しかも結構な距離の所に行かれてしまったので
新しい病院、自分に合う病院を転々と探しております。
障害者手帳の更新が被ってしまい
早いとこ掛かりつけの病院を探さないといけないし
今までずっと飲んできた薬もそろそろ効果が切れてしまうのではないかと
少し不安に思っています。
私は、双極性障害になってよかったと思っています。
いや、正確には良かったと思えるようになったが正解です。
元々は大っ嫌いでした。
大っ嫌い=自分の存在自体を否定していました。
社会に認めて貰えない
外見だけでは判断されない為、友人や家族にも否定される
SNSで誹謗中傷される
言葉の暴力に合う
お金が散財していく
人に騙されてブラックリストになる
私は21歳の時に病気に掛かりましたが
その前は元々【うつ病】と診断されていました。
なので全く処方箋も違うんですが
うつ病と診断されて次に双極性障害と診断されるまで
3ヶ月程時間を要しましたが、その間に本当に奈落に落ちた気分でした。
毎日生きた心地がしなかったです。
※詳しくは私のマガジンをぜひご覧ください!
何度も自傷行為をしました。
そんな私がなぜ今自分の病気を良かったと捉えているのか。
これを紹介していきたいと思います。
1.気持ちが1周回った
まず根本的な問題で、気持ちが前向きになりました。
元々病気になる前からネガティブ思考で消極的な人間だったのですが
それがネックになっていて、「あーもうこれダメだ」「こんなの無理だ」
そんな風に考えて足が止まってしまっていました。
なので悪い人達にハメられた時も「こんなの無理だよ・・・」となって
最終的にはブラックリスト入りしました。
ブラックリストに入ったことを知ったのは携帯の契約ができなくなった時です。
私はその時自分がどうゆう状況に置かれたのか全く理解ができず
そこから何も抵抗せず転落していったので
稼ぐ力も無ければ、稼ぎ方も知らない。
そんな人間がこれからどうやってこのお金を払えばいいんだとなりました。
もう無理だと思ったらもう機能停止。
この世の終わりかのように全てを棒に振りました。
それから4年程時間が掛りましたが
その時にたまたま見たネットニュースで
「マライア・キャリー初告白」とゆう記事を見かけ
リンクを開いたら双極性障害だったことをカミングアウトしていたんです。
私はあまりにも大きな衝撃で思わずスクショしたのを鮮明に覚えています。
「こんな世界的大スターも自分と同じ病気なのかよ・・・」
そおう思った時に今まで何やってんだと思って涙が出ました。
悔し涙です。完全に。社会的信用を失ってるわけですから。
これが私の考え方を大きく動かすキッカケになりました。
それ以来、自分の病気は変わらないなら向き合い方を変えようと決めて
本を読んだりして病気を知る所から始めました。
初めて買ったのがこの本なのですが
今まで先生に言われていた事以外にも注意しないといけないことが沢山あるんだと学びました。
病院のカウンセリングは、お金がどうこうとゆう話とか
性欲がどうこうとかとゆう話はされなかったし
躁もあるのにうつもあるってどうゆう事?
とゆうのが理解できました。
そうして自分の病気を知った時に
「確かにこれは周囲に理解されないか」って少し納得しました。
だから自分が寛大な心を持つことと、周囲に漏らさない事を決めました。
自分の事は自分が1番よく知っている。
それだけでいいんじゃないか。
そう考えたら気持ちが物凄く楽になって
ドンドン前向きに考えられるようになりました。
前向きに考え始めたら今度は自分の性格を変えようと努力しました。
自分を偽って部屋にいる時の自分とは全く違う自分を演じて
とにかく明るくて、ポジティブで楽観的な自分になろうと。
結果としてはそれが成功したと思える程になって
少しづつ自分自身の根っこが強くなってきたことを実感しています。
なので、根本的な所では気持ちが1周回って
自分の性格を変える事が出来た事が良かったと思える点です。
2.「悔しい」が今の「力」に変わった
アルバイト、派遣社員、正社員。
何社入社したんだろうってぐらい働きました。
中には数か月で辞めてしまったり、数週間で辞めた仕事もありました。
全部が全部ではないですが、「悔しい」と思う事が多かったです。
人間関係もそうですし、会社のルールもそうです。
この悔しさをどこにぶつけるか。
そう考えた時にまず何に悔しいと思っているのかを細分化しました。
身勝手な発言だったり、不適切な発言
自分にメリットの無い働き方や給与制度など
細かく見てみると繋がったのは「雇用されている」とゆう事でした。
雇用とゆう言葉しか知らなかった私は、早く正社員になって安定しなきゃいけない
そんな事ばかり考えていました。
でも実際、安定と言っても低所得だし、物凄い体と精神を酷使しないといけなくて
「それのどこが安定何だろうか」と疑問を抱き始めていたんです。
雇用されているうちは自分が満足いく生活水準にはならない。
満足いく生活をするには会社を起業する側に立つか
投資をしないと絶対不可能だと考えました。
そうやって考え始めたらそうゆう事をしようとなるのですが
まずどうしても目先のお金を得ないといけない身分だったので
勉強をしながら”雇用”されていた訳ですが
そうゆう思考になってしまったら、雇用されている自分が恥ずかしくて
そして、雇用されている人達しかいない中で
自分に得られるものがあまりない事に気付きました。
でも置かれてる状況は変わらないと考えると
物凄く悔しくて、「0からでもいいから抜け出そう」と思って今に至ります。
雇用されていることが悪い訳ではありませんが
自分にメリットがない所に雇用されていても何にも意味がありません。
言ってしまえば”駒”同様でこれがわす。
どんなに働いたって頑張ったって、必ずしも正当な評価がされるわけでもない。
正当な評価=お金だと私は思います。
「汚い奴」「意地悪い」などと思う方も中にはいるのかもしれませんが
少し考えてもらいたい。
「目の前に1000万あっても、一瞬も揺らがずに同じことが言えますか?」
安定したい。一定の収入があればいいと考えている人だって
そうした状況にいれば心が揺れないはずがありません。
人の幸福度の基準の中には紛れもなくお金があっての物だと思います。
だったら少しでも人より多くのおお金を稼げるように頑張るのが
正しい道だと私は思うんです。
これが私が悔しいとゆう気持ちから学んだことです。
多分病気になっていなかったらそうした悔しい気持ちを持ってこなかったかもしれません。
とゆう社会について全く持って無知だったので
そういう所も含めてよかったと思います。
学んだとゆうか教訓と言ったほうがいいかもしれませんね!
3.コミュニケーションスキルがついた
前述したとおり、私は自分を偽って、自分を演じて社会に溶け込む努力をしました。
私が今まで関わってきた会社や人達で私の全てを知っている人は0人です。
何とか弱い部分を表に出さないようにだけ努力してきました。
端から見たら「嘘つき」だと思いますが
個人的には病気の事を突かれるよりもよっぽどマシです。
それは外見では判断されないとゆう所が良い方向に傾いてたのかもしれません。
結果としてその辺りを有効に活用して
常に脳が活発に動いている状態でした。
私は、自分を守る為のウソも時には必要だと思います。
勿論ウソはいけないとゆう事を前提の上ですよ。
ウソはいつしかクセになっていきますからね。
それは自覚する必要があると思います。
実際私も自分に正直になろうと意識的にいないと
小さなこともウソをつこうとしてしまっていましたから。
ウソで得たコミュニケーションスキルなんて詐欺と一緒だ
なんて思われるかもしれませんけど
間違いなく自分の話し方や内容に変化がありました。
それは自分の中では凄く大きい経験でした。
話す力、話を聴く力
この二つが無いと発信する事もできないですし。
これは私が思っているだけかもしれませんが
双紛れもなく双極性障害になって良かったなと思う所です。
4.人の傷みや苦しみを分かるようになった
病気になる前、私は人の傷みや苦しみなど考えた事もありませんでした。
自分は可哀想な人間。それだけ考えていました。
まさに悲劇のヒロイン。
家庭環境、結構複雑なんですけど、そこに逃げて
自分可哀想な人間でしょ?とゆう気持ちばかりが勝っていました。
これが変わったのは良くも悪くもSNSで誹謗中傷を浴びてからです。
勿論最初は物凄く応えました。
何でなのか分からないし、何が間違っていたのかも分からない。
結局人は自分の事しか考えない。
自分の事は置いといて、そんな見解をしました。
いや、実際の所そうなのかもしれない。
人は最終的には自分の事しか考えないのかもしれません。
ただ、当時の私はそこに自分は置かれていませんでした。
「そんな人たちに攻撃されている自分は可哀想。」
もの凄く残念なタイプです。笑
それは当然バッシングを食らいます。
思ったのは私に1㎜も余裕が無かった事です。
自分の事しか考える余裕が無かったので当然他人を見る事ができません。
ある程度病気の事を理解して、病気と付き合って一生生きていこう
そう決めて進んでから、少しずつ余裕が生まれた気がします。
仕事の話をすると
「どのポジションもどの仕事も一定の仕事をする事ができます。
でもそれは逆に、突出したものがありません。
特別目立ったグラフが無いのです。
だから面白みもないし、魅力もない。」
そんな風に考えていました。
そういう事に気付けたのは沢山の人を見れるようになったからで
その中には頑張ってるけど、辛く苦しい事を抱えながらも
何とかしようと頑張っている人達を見て
今までの自分の余裕の無さに気付きました。
それから私は、自分の根本が「縁の下の力持ち」である事から
自分の力で誰かの背中を押せるような人間になりたいとおもう事ができました。
この時代、このご時世ですから、私の今置かれている現状から
簡単には信用を得られない=人は集まらないと思いますが
少しずつ大きくしていって、いずれはどんな病気を持っていても
ハンデのない社会を作れたらと思います。
まずは私と同じ双極性障害を持っている人達から
沢山の事を学んで、沢山の事を発信していきたいです。
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