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理不尽な沼に消えた私の恋

こんにちは。

あらかじめ、言っておきます。
この記事はめちゃくちゃ長いです。
10分かかります。
しかし、読み応えはあるので、どうかどうか、最後まで読んでみてください。

女友達からも、男友達からも、恋愛相談をされることがある私ですが、
私からは一切、友達に恋愛相談をしたこともなければ、
好きな人を自分から言ったりということもありません。(雰囲気でばれるということはありましたが。)

なぜかって、自分の中に秘めておきたい。
つかみどころのない感じの人間でありたいからです。

そんな私が、今日は今まで1番、『心臓を握りつぶされそうだった』恋のお話をします。


それは、私が高校生だったときのことです。

高校生って2年生になると、文系と理系でクラスが分かれると思いますが、
私の学校は、その中でもさらに学力順にクラスが構成されていました。

そして私は理系の一番上のクラスになりました。

ここで少し恋の話ではないのですが、私の高校生活を具体的にイメージしてほしいので、脱線します。

私の高校はいろいろ学科みたいのが分かれていて、高卒で就職をする科、大学進学と高卒で就職をする人が混じっているような学力が高くない科、そして普通に大学進学をする科の3つがありました。3つは校舎が分かれているので、他の科の人とはほぼ関りがありません。

大学進学をする科は、もちろんピンからキリまでの学力の人で構成されていました。学力順にクラスが構成されるため、底辺の人たちとクラスは一緒になったことがないのですが、そういったクラスの人たちとも友達でした。
そういった子たちがどんな大学に行くかというと、たしか、大妻女子とか、共立女子とか日大(医療系以外)とかあとは本当に名前の聞いたことのない大学だったと思います。

あらかじめ、誤解していただきたくないので言っておきますが、
私は、行った大学のレベルで人を見下すとかはないです。
Fラン大学でも起業して儲かっている人も見てきましたし、行った大学がすべてではないことも理解しています。
単純に理解しやすくするために”底辺”とかいう言葉を使っているのでよろしくお願いします。

そんな感じで、私のいた科では運動部に入る人があまりいませんでした。
底辺クラスには結構いたのですが、先生たちからの圧力が強く、中から上のクラスの人で運動部に入っている人は4人くらいでした。私もその風潮に流され、運動が得意だったのに、やりませんんでした。。。

高校生の私は、なんか知らないけど、他クラスの女子から好かれていて、私のファンみたいな人がいました。
あの時は、とっても居心地が良かったですねー。
クラスが一緒になったこともないのに「SKYROCKETちゃんのファンです」
「今日もかわいいね!」とか廊下ですれ違うと言われたりして、とってもうれしかった記憶があります。
同性から好かれるってうれしくないですか?
とってもプレジャーな気持ちになりませんか?

そして、毎年私の高校では持久走大会があったのですが、
運動部に入らなかった(入れなかった)悔しさから、体育の長距離走の授業では真面目に練習しちゃったりして、
運動部に紛れて上の方にランクインしていました。


こんな感じで、理不尽の沼に消えた私の恋の本編をスタートします。

高校二年生、理系の一番上のクラスになり、クラスメイトも私の仲良かった友達が結構いたので、友達関係の心配はなさそうです。

担任はちょっとでぶっちょのY先生。
後に、私の心に深い傷をつけるきっかけとなった人です。

Y先生って、生徒を洗脳するのが上手いのか、学校に夜まで残って勉強するくせをつけさせました。
同じ学力レベルのクラスがもう一つあったのですが、そんな癖を生徒たちにつけたもんですから、定期テストの平均点はかなり差をつけることに成功しました。

夏休み前になると、合唱コンクールがありました。
その先生って、独裁者気質なのか、生徒の意見も聞かずに、クラスで歌う合唱曲を決めちゃいました。
その曲がダサかったのと、私が合唱経験とピアノ歴12年だったもので、納得がいかず、その先生に大きく反抗しました。
そしたら、なんと、職員室に呼び出され、「お前がクラスの輪を乱している」だのなんの、人前では決して泣かない私を、涙ポロリの一歩手前までするくらいにけちょんけちょんにします。

もう無理だ―と思ったので引き下がり、合唱曲は無事に独裁者Y先生の決めたものとなりました。決まってしまったからにはしょうがない、その曲でみんなと一生懸命に練習しました。
そんなさなか、合唱コンクール実行委員だった女の子が、ストレスのせいなのか、長らく入院することになってしまいました。

その子とはそんなに仲が良かったわけではないのですが、中学校が一緒だったのもあり、独裁者Y先生と他の友達を連れてお見舞いに行きました。
そして、独裁者Y先生に合唱コンクールの実行委員をお前が引き継げと言われました。

そして、ついに、合唱コンクール本番がやってきました。
結果は案の定、ダメダメでした。
独裁者Y先生、ざまーみろとも思いつつ、
クラスメイトと一生懸命に練習したので残念でした。

そんなことも束の間、次は学園祭たるものが待ち受けていました。
私たちのクラスは、クラスメイトの親にパン屋さんをやっている人がいたので、パンを売ったのと、
儲かるという理由で、射的をやりました。

ここでようやく、私の恋のお相手が登場します。Sくんです。
一緒のクラスになった時から、目をつけており、席が近くなったのをきっかけに仲良くなり始めました。
高身長でイケメンで、焼けていて、頭も良くて、スポーツもできちゃう。
だけど、ちょっとひねくれている感じが印象的でした。

学園祭に向けて、買い出し担当になったのですが、例のごとくそのSくんも一緒の担当でした。何人かで買い出しに行ったのですが、なんだか、わくわくしたのを覚えています。

そうこうするうちに学園祭は大盛況に終わりました。
学園祭のクラスでの売り上げは、学校に計上するか、自分たちで分けるかを選択できるのですが、ほとんどのクラスが学校に計上している中、
独裁者Y先生は、ほかのクラスとは違う存在でありたかったのか、自分たちで分けるように指示しました。

てな感じで、かなり個性の強めな独裁者Y先生。
今まで、トップクラスを担任したことがなかったみたいで、
なんか、張り切っていたのでしょうね。

時は流れて、秋の頃。

一大イベントの修学旅行が待っていました。
場所は沖縄です。
それはもー最高でした。
しかし、高校生は多感なお年頃ということで、ショートパンツ、ショートスカート、ノースリーブが一切禁止されていました。
なぜか知らないけど、私を含む女子数名が、そのことに対して、違和感を覚え、独裁者Y先生に、担当の先生へ抗議をしてもらうことにしました。
さすが、独裁者Y先生、見事に、私たちのクラスだけ、そういった服が許可されました。(まじ、今考えると意味わからない)

そんなこんなで、修学旅行は終盤に差し掛かり、独裁者Y先生がある提案をしました。
『自由時間に一人1個、1000円くらいでお土産を買い、みんなで交換ゲームをしよう』と。
もちろんみんな大賛成で、交換ゲームの夜がやってきました。
どうやって交換するかというと、詳しいところは覚えてないのですが、
最終的には、男子と女子が1列になって向かい合わさり、
適当に、人を探してもっているやつを交換する(ピラメキーノの最後の告白シーンを思い出しちゃいました)みたいな。

この時の私は、Sくんのことをまだ確実には好きではなくて、
向こうも私のことを好きかどうかわからない状態でした。
ゲームがスタートしてしまって、だれにしようか男子を探していたのですが、なぜかすっとSくんとプレゼント交換していました。
ほんとに不思議な気分でしたし、とってもうれしかったです。

この時を境に、私は、Sくんは私を好きなのだろうと思い始めました。

そうこうするうちに次は、お待ちかねの球技大会!!!
種目は、バスケだったと思います。
私たちのクラスは私を含めて、バスケ経験者と、運動神経のいい人たちが結構いました。
球技大会で優勝すると、お菓子の山がプレゼントされるので、みんな必死でした。

ただ、この時期はみんな大学受験マインドに脳が切り替わりつつあり、
独裁者Y先生は球技大会の練習ために、どこかの体育館を借りて練習するのを良しとしていませんでした。
このクラス本当にやばくて、みんな放課後は教室に残り21時まで勉強していたので、練習のためにいなくなったものならば、一発でバレます。

そんなのはお構いなしに、私はクラスのLINEグループで、練習しに行こうと、みんなに声を掛けました。そして、学校から自転車で30分の場所にある体育館を予約し、人を集めることに成功しました。

ここからがまじで恐怖です(笑)。
19時まで体育館を予約していたのですが、先生に怒られる恐怖なのか、バスケ得意な頭のいい男の子が18時くらいに抜け出し、学校に戻ってしまいました。

私は、もちろん主催者なので、最後まで楽しみました。
そして、最後のほうにはSくんと二人で1対1をしたり、
フリースロー勝負をしたりしました。
ほんとに楽しかったし、ドキドキしました。
その後、私も独裁者Y先生にある程度洗脳されていたので、学校に戻ります。

時は流れて、球技大会当日。
みごとに優勝し、頭のいいクラスかつ運動もできるクラスとして君臨しました(笑)。

みんな放課後は、21時まで机に向かっていましたが、
その日の、独裁者Y先生は優しく、お菓子タイムを作ってくれ、
ハーゲンダッツをご馳走してくれた上に、もう、お前ら今日は帰って休めと言ってくれました。
みんなで楽しくお菓子タイムを満喫しながらも、
私は、Sくんと教室の後ろで写真を取り合ってじゃれていました。

楽しいのも束の間、
Sくんはイケメンで高身長、頭も良くて、スポーツもできます。
もちろん、私にとってのライバルが出現するのです。

私の幼馴染のNちゃん。スタイル抜群で美人です。その二人がなにやら話していて、NちゃんがSくんのマスクを引っ張って、ポーンってやっていました。
見ていられなかったです。つららら。

あともう一人がMちゃんです。
Sくんとは1年生のときからクラスが一緒みたいで、なんだか、いい感じだったとか。。。いつもMちゃんはSくんに勉強を教わっていました。
もちろん、Mちゃんは顔面が可愛かったです。美意識も高くて。。。

こんな強敵のライバルがいた中、最終的には私の一人勝ちみたいになりました。でも、2年生が終わるまで付き合うことはなく、両想いだろうね的な感じ。私とSくんがたった一回でも、学校の下駄箱近くにある自販機に一緒に飲み物を買いに行きもすれば、あの二人付き合ってる?みたいな噂がたちました。

そうこうするうちに、付き合わないまま、春休みに突入しました。
春休み突入の数日後に、3年次のクラスが示された紙が家のポストに届きます。このクラス分けは前にも言いましたが、完全学力順のはずでした。
4回あった校内学力模試の結果をもとに、決められます。
2年生の時はトップクラスというのが2つあったのですが、どうやら、3年次には1つになるという説が濃厚でした。

「あっ、わたしは、一番上のクラスに入れないかも」と友達が言っている中で、私はあまりその心配をしていませんでした。
なぜなら、校内模試で、一桁まではいかなかったものの、結構順調な成績を取っていたからである。
そして、この校内模試の結果は上位30人が張り出されるのだが、ここに毎回乗っていればまず落ちるはずがなかった。
そして、私も、その一人であった。

クラス分け通知が来る、前日くらいに、みんなでどうなるだろうね~と話し合っていた。その話し合っていたメンバーの中では、校内模試での結果が一番だったので、「SKYROCKETちゃんが、トップクラスじゃなかったら、私も落ちだよね~」みたいな話をしていた。

そして、クラス分け通知が家に届いた。
少しドキドキしながら、でも、まあ一番上のクラスだろうな~と思いながら開けてみた。

落ちていた。。。。

信じられなかった。ありえなくて、何度も目をこすった。
それでも、落ちていた。
ありえなすぎて、過呼吸になってしまった。

そして、親が仕事から帰ってきた。
真っ先に、「申し訳ない。」と伝えたのだが、
ありえな過ぎて、そこでも過呼吸になるくらい泣いてしまった。
親の前で泣くなんてないような子供だったので、驚いていた。

それから、時間がたち、クラスがどうなるか話し合っていたメンバーの状況が知りたくなった。あの子たちが落ちていれば、これから一緒のクラスかもしれないし安心できると思った。

しかし、あの子たちは落ちていなかった。
明らかにおかしかった。
一度も校内模試のランキング表に乗っていない(1回くらいはギリギリで載っていたかも)のに、どうして、、、。

先生に抗議しようかとも思った。
しかし、できなかった。なぜなら、一度決まったものが覆るとも思えなかったから。
そして、不登校になろうかとも思った。
しかし、実際は、クラス分けが届いた次の日に、春休みなのに学校にいって、落ちたクラスで一人勉強をしていた。

私が勉強している部屋に、独裁者Y先生が入ってきてこういった。
『SKYROCKETは、ボーダーにもいなかったよ』と。
なぜ、ランキング表が出ているのに、そんなはずがないのに、そういうことを言ったのか、、私には理解できなかった。
泣きそうになりながら、『あっ、そうですか』と平然を装った。

あのSくんはどうだったかというと、もちろんトップクラス
私は、また同じクラスだったら告白してしまおうと考えていた。

しかし、私は落ちてしまったのだった。

自分のプライドをズタズタにされ、理不尽な結果を突き付けられ、
もう恋愛どころの話ではなくなっていた。

Sくんが、落ちたクラスで勉強をしている私をみて、
『なんで、ここのクラスにいるの?』と悪気もなさそうに聞いてきた。
私はすかさず『落ちたからだよ』と平然を装う。
『うそでしょ、まさか』と、新学期が始まるまで信じてもらえなかった。

それからの私は、私より確実に頭が悪かったのにトップクラスにいる人が、うざくなり、完全にトップクラスの人とは話さなくなったし、
SくんのLINEも削除した。

それでもなお、Sくんは私を気にかけ、放課後勉強している私の教室(一人で私が独占していた教室)に来てちょっかいを出しに来た。

SくんのLINEも完全に無視していたが、そんなのお構いなしに、ちょっかいを出しに来た。「LINEなんで返してくれないの!」って最終的には怒っていた。

後からほかの人に聞いた話だが、深刻に私のことを心配していたみたい。

最初は、Sくんと話してあげていたが、廊下ですれ違って、声をかけてきても無視を貫いていたので、次第に、よりついてこなくなった。

こうして、私は、理不尽な沼に耐え切れず、本当に大好きだったSくんのことを完全に、私の中の存在から消し去ったのであった。

なぜこんな理不尽なことが起きたのかを最後に振り返っておきたい。

クラス替えの後のトップクラスの担任は独裁者Y先生である。
その先生からしたら、口答えしてくる私が目障りだったのだろう。
勉強もそこそこ、運動もできる、ある程度の人気もある、イケメンSくんと付き合いそうな私が邪魔だったのだろう。

そして、ここは私立、お金で私の娘をトップクラスにしてくださいという人が現れたら、従うのであろう。

ここまで、理不尽なことが起きる社会だとは思っていなかったので本当に怒りがこみあげてくる。
その後も、独裁者Y先生が裏で手をまわし、いろんな理不尽なことをしていたと思う。
英語と数学の授業はまた別にクラス分けがされるのだが、
英語で校内2位を取ったとしても私は、一番上のクラスに行けなかったことからいかに理不尽な手回しをしているかがうかがえるだろう。

そこで抗議する度胸もなかったし、
第一、そんなくだらないことに時間を費やしたくもなかったから、
私はただ平然と過ごし、その高校を卒業した。

お金がたんまりあったら、訴えてやりたい。
しかし、そんなクソなやつを陥れることに時間を割くなら、死んだ方がましだと思うのも私なのである。


ここまで、お読みいただきありがとうございました。
少々、胸糞が悪かったかもしれない。
医学部受験で汚職があるように、平等な社会になったと思う日本でもまだこんな理不尽なことが起きているのである。

理不尽な沼に消えてしまった恋

それにもめげず、毎日高校に行き続けて皆勤賞をとった自分

そっと、称えたいと思う。


と、この話の落ちはまだで、
さらに私的に胸糞が悪い落ちが待っています(⌒∇⌒)
近日中に公開しますのでよかったらまた見に来てください。





毎回noteを書くときはスタバで書きます。1杯のコーヒー分をくれた方には、私の愛を伝えるためにエアハグを送ります☆