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【回顧録】私と関西ジャニーズ

斗真担としてのことを振り返ると、20年という年数から物凄く長くなってしまうので、先にWESTのことについて数回に分けて書いていこうと思います。

☆☆トピック☆☆

1.そもそも私は関西好き?

2.全ての入り口は兄組

3.B.A.D.は報われてほしい!

☆☆☆☆☆☆☆

1.そもそも私は関西好き?

実は一時期、結構本気で「斗真さん、関西Jr.に移籍すればいいのに」と思っていたことがありました。多分、後の関ジャニ∞となる「すばる・ヨコ・ヒナ(渋谷・横山・村上)」との共演が多かった2000~2001年ぐらいだと思います。
この頃の斗真さんは、今のイメージしか知らない方は驚くでしょうが、Jr.の中でバラエティー班扱い。しかも関西Jr.の中心「すばる・ヨコ・ヒナ」と仲良く対等に付き合える東京Jr.ということで、共演の機会が多かったのです。私はこの「すばる・ヨコ・ヒナ」と斗真さんの絡みがとても好きでした。年下だけどほんのちょっとだけ事務所入りが先輩な斗真さんが、年上でしかも関西Jr.の中心というべき3人を呼び捨てでタメ口、という生意気な構図。でも3人はそれを受け入れてくれて、むしろ公私共に仲良くしてくれているのがテレビや雑誌等を通じても伝わってきました。
(書いてみて気づきましたが、考えたらこの感じ、WESTの年上組・年下組の感じと似てるな……。)
その頃、社交的な斗真さんは、東京Jr.・関西Jr.問わず色んな人と仲良くしていたようで、舞台「Millenium SHOCK」出演時に、同じく出演した他の関西Jr.とも交流があることを当時の雑誌で話していました。ヒナちゃんのインタビューだったと思いますが、「当時東京Jr.をライバル視して仲悪かったけど、斗真とは仲良かった」みたいな話をしていたので、特に関西Jr.年上組と東京Jr.を繋ぐ役目を公私共にしていたのかもしれません。そんなに仲が良いなら、斗真さんが関西Jr.に移籍してすばるくんたちとデビューするのも有りなんじゃないかな……そんなことをぼんやり思っていました。

たまにテレビで「東京Jr. VS関西Jr.」対決みたいなものがありましたが、個人的に全体的な雰囲気は関西Jr.の方が好きでした。
関西Jr.独特の結束感、ガツガツした感じを当時から感じていました。
更に個人的なことを言うと、私自身が西日本生まれ育ちの人間で、関西Jr.の方が方言など勝手に親しみを感じやすかったので、それもあって関西Jr.に親近感を覚えていたのだと思います。

2.全ての入り口は兄組

ジャニーズWESTのメンバーで最初に認識したのは、おそらくB.A.D.の2人(中間、桐山)だと思います。2002年に関ジャニ∞が結成されて、そのバックを務めてアイドル雑誌にも載っていたことをきっかけに知ったのだと思います。割とバックのJr.の中でも重要な立ち位置を任されてることが多かったイメージです。
同じく、同時期に存在を知ったのが濱ちゃんでした。当時、東京Jr.で結成されたユニット「Ya-Ya-yah」に恐らく対抗するような形で、関西Jr.で「関西BOYS」というユニットが作られ、その最年長メンバーが濱ちゃんでした。B.A.D.と同じくアイドル雑誌に載ることが多かったので、そこで彼のことを認識しました。濱ちゃんはなかなかパフォーマンスを見る機会が私はなかったのですが、「関西BOYS」の最年長メンバーだったこともあり、何となく事務所に頼りにされてるのかなという印象がありました。

3.B.A.D.は報われてほしい!

B.A.D.に好感を持つ出来事がありました。
関ジャニ∞デビュー後の舞台「Magical Summer」、この時に、当時関ジャニ∞のメンバーだった内くんに、急遽降板を余儀なくされる事態が起きました。舞台でも重要な役どころであっただろう内くんの役をどうするのか、斗真担の私も心配でした。
そんな中、「代役を中間淳太が務める」ことが決まります。実際に舞台に足を運んだジャニーズファンの皆さんの感想には、代役の淳太くんの頑張りが綴られていました。短期間で大事な役を急遽やり遂げた淳太くん。そんな淳太くんから、B.A.D.への好感がぐんと上がりました。
その後も、エイトのコンサートバックでB.A.D.が中心となって頑張っていたことを知る度に、また好感が上がります。そこからどんどん活躍の場が増え、「ザ少年倶楽部」で初めてB.A.D.2人のパフォーマンスを披露した時、「ごくせん3」の出演が決まった時、私もリアルタイムでチェックしていて、本当に嬉しかったです。
いつしか、「B.A.D.の2人は絶対にジャニーズで報われてほしい!」と思うようになりました。そして、時間はかかったけれど、ちゃんと報われることになったのです。

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