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【回顧録】斗真沼に落ちた時の話

生田斗真さん、ジャニーズ事務所入所25周年、おめでとうございます!四半世紀も事務所に所属し、単独俳優班としての道を突き進む斗真さん。これからも陰ながらその歩みを応援させていただきますので、よろしくお願いします。

では、そんな斗真さんの沼に落ちてしまった時の話を今回は書いてみようと思います。


★★トピックス★★

1.嵐のデビュー

2.愛ラブBIGで沼落ちした話

★★★★★★★



1.嵐のデビュー


1999年9月、朝のワイドショーで、嵐のデビューを知りました。
最初に私が思ったのは「斗真さんは入らなかったんだ」でした。他のMAINメンバーは入ったけれど、斗真さんは入らなかった。一瞬、寂しさを感じましたが、その次に思ったのは

「じゃあこれからは、山Pや風間くんと活動するんだ!」

でした。もうこの頃から、山Pや風ポンとの組み合わせに心をすっかり惹かれていました。

実際、この時の斗真さんは、凄くしんどかっただろうし、大変だっただろうなと、後に竜聖くんが明かしてくれたエピソードや、斗真さんが嵐1stコンサートで翔くんに感謝した話からそう思います。でも、私はそんなこととは露知らず、呑気なものでした。ファンの解釈なんて本当に自分勝手だよなぁと、この時の事を振り返ると思います。



2.愛ラブBIGで沼落ちした話


そんな斗真さんが中心となって、「愛ラブJr.」の後番組として始まったのが「愛ラブBIG」という番組でした。
当時の中学生Jr.を中心とした番組。タッキーの出演コーナーもありましたが、 FOURTOPS、現・ABC-Zの五関くん、現・ふぉ〜ゆ〜の福ちゃんなどからなるちびっこJr.ユニット・BIGが本当にメイン。
昨年放送された「嵐にしやがれ・松本潤記念館」で、斗真さんがタッキーと松潤から自作MDを貰ったと話していましたが、おそらくこの番組で斗真さんが中心となって引っ張ることになり、それを励ますために2人がプレゼントしたものだと思います。そのMDを今でも大切に保管していたあたり、そして2人への感謝を口にしていたあたり、斗真さんがこの番組で背負ったプレッシャーは大きく、その分2人からの励ましが身に沁みたのだろうなぁと思います。

もちろん当時の私はそんなことだとは露知らず、呑気に番組を見ていました。毎週ホッケー対決を見るのが楽しみで、わちゃわちゃしてるコーナーや歌のパフォーマンスも楽しみで。ただ、見れる時に見るという感じで、全部の回を見てたわけではないし、最後の方ちょっとだけ見る程度の時もありました。


そして、沼落ちの瞬間は、多分ですが、番組の最終回にやってきました。


ここから記憶がかなり曖昧なので、そうだったかも、という感じで読んでいただけたらと思います。


最終回に、未公開映像スペシャルだったか、ハイライトスペシャルだったか、とにかく過去の放送を振り返る企画が放送されました。
その中で、ホールのような場所での公開収録の場面が映し出されました。これは多分、私が見逃してた回だと思います。
そこで、おそらくですが、収録を終えてほっとして、タッキーの横で泣いている斗真さんが映し出されました。

私はビックリしました。天てれからずっと見てきた斗真さんが素で泣いてる姿を見たのは、覚えている限りではこの時が初めてでした。

その時に、この番組で司会をされていた田代まさしさんが、「斗真は感激屋だからな」とおっしゃっていました。

実は当時、私は叔父に全く同じ事を言われていました。感極まるとすぐ泣きそうになってしまい、泣き虫な性格を周りの友人からもよくからかわれ、コンプレックスに感じていました。

今まで、「テレビの向こうにいる元気でかっこよくて親しみが持てるお兄さん」だった斗真さんのことを、更に近い存在に感じるようになりました。
あんなにかっこよく楽しそうに歌って踊って、元気にトークやコントをしてたキラキラアイドルのお兄さんでも、感激して泣くことがあるんだ。中学生だった自分には、とても衝撃でした。

それ以来、斗真さんへの気持ちがどんどん大きくなっていきました。そしてどんどん「ジャニーズオタク化」していくのです……。

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