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個人主義の自由の国

アメリカ人彼氏と付き合って間もない頃、私は扁桃炎になり2日40℃近い熱に苦しめられた。

喉の調子がおかしくなり、風邪だと気付いた頃、家にいた恋人は異国での看病がわからずあたふたしていた。「ポカリと何か食べやすいものを買ってきて」なんて言ったところで、わからんだろうとぼーっとした頭で思った。そんな恋人に唯一頼めたのは、「寒いから一緒に寝てくれ」ということ。それに対して彼はこう言った。

「I don’t wanna cold.」
ー風邪いらない。

そのときはぶち切れて、帰らせたけど、後々考えたり、彼から話を聴くと、彼は風邪をひいたとき、家族に薬と飲み物・食べ物を渡されて部屋に隔離されるのが当たり前だったようなのだ。

それはそうと相当頭にきて私は回復の途中で「扁桃腺 切除」をググった。2年に一度の程度で扁桃炎になるので、いっそのこともう切ってしまおうか?!と思った。

だが、彼の国、アメリカの個人主義とは、こういうことなのだと痛感した。自分の身は自分で守る。扁桃炎になるから扁桃腺を切る。病気になったからって誰が助けてくれるような世界ではないのだ。アンジェリーナジョリーも乳がん予防のために胸を切るそうじゃないか。それがアメリカらしいっちゃアメリカらしい。

とりあえず扁桃腺切除は大人がすると1週間ほど入院が必要とわかり(子どもなら日帰り)、切らないといけないほど扁桃炎を繰り返す段階では今はないので、見送りました。

「そんな世界で育った人なんですね」
と師匠に話すと、
「そんな世界にちょっと嫌気がしてるからこそ日本に来てるんじゃないかな。」
と師匠は言った。

ここは日本人の看病を味合わせて教えるしかない、と思い彼が病気になるのを待った(←)が、彼はスーパーヘルシーなので一向に看病の役は回ってこなかった。

だがある日、彼が腕に大きな火傷を負って来た。水筒を洗うために熱いお湯を水筒に入れてシェイクしたら爆発したらしい。

私はここぞとばかりに、当たり前のように、毎晩彼の火傷のガーゼを取り替え、ドルマイシンを丁寧に塗り、ケアをした。彼はその都度嬉しそうにしていた。

思い知ったか

これが看病される、弱ったときに人にケアをされる味だ、よく覚えろ!!と念じた。

恩を着せるわけではないが、彼は知らないのだ。日本人が当たり前のように弱った仲間を手助けする意図を。それらを経験して、感じて、私のターンが来たとき、今度は私の手助けをして欲しい。

自由というと聞こえは良いが、とても恐ろしい「全て自己責任」の国なのだ。

自由という大海を泳げないやつは溺れてしまうだろう。

自我がしっかりなければ溺れてしまうだろう。

だからこそアイデンティティが必要な国なのだろう。

かたや日本人は蟻に近い。ひとつのユニット・グループでひとつの生命体であるというような思考が根強いといまでも思う。開国とともに「アイデンティティ」という概念が日本に入って来ても一部の心理用語に留まっていてはその意図を明瞭に日本語に訳すことができる日本人はなかなかいないだろう。

まだアイデンティティが確立していない日本では、自由をくれ!などと叫ぶことも愚か、国会に操られている蟻でいる方が日本人は平和なのかもしれない。

全てが自由になったところで、国に守って貰えなくなったところで、どれだけの日本人が精神を保って生きていけるだろうか。

我ながら極東アジアの日本という国はユニークである。

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