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もし余命1年と宣告されたら私は何を思い何をする?

この週末、Netflixで「余命一年と宣告された僕が余命半年の君と出会った話」を見た。
これを見ながら、もし私が明日にでもあと余命一年と宣告されたら何を思い、どうするのだろうと。


これが私の答え

私の場合そこまで考えなくても答えは簡単で、「世界中で一番話者が多い英語を学び、生涯のうち数年間は海外に住み、一人でも多くの人と知り合い、自分自身の視野を広げること。」だ。

33歳というと世間的にはまだまだ若いし、私自身もまだ至って健康体だが、私はいつどうなってもいいように毎日を送っている。何なら最近遺書も書き始めていこうかとも思っている。笑
もしかしたら明日交通事故でどうにかなるかもしれないし、いきなり病気が見つかるかもしれない。いつテロが起こるかもわからない。
誰にとっても人生は予測不可能だが、だからこそ私はそうなったときに、過去の行動や決断を悔やむことだけはしたくない。

一度は海外生活の夢や英語を諦めかけた時期もあったものの、色々あってまた自分の原点に戻ってきて藻掻いていた矢先、イギリス行きの切符を掴むことができた。
私は人生来るべきときに必要なことが起こると思っているので、これは神様が私に与えてくれたチャンスだと思ったし、何なら今でもチャンスを与え続けてくれているような気がする。

チャンスというと、気づかぬうちに巡ってきているものもあれば、自分でつかみ取るものもある。
よく「チャンスは誰にでも平等に与えられるもの」とかいうけれど、それなりに悩んで苦しんだ結果、何かしらの行動を起こした人に巡ってくるものだと私は思っている。
だから今回私に巡ってきたとき、この機会をどう将来に活かしていくのか、私自身試された気がした。だから私は今、イギリスで奮闘中なのである。

何かしらの形で世界と関わり続けていくことが、私が生涯やり通していきたいこと。

今この瞬間を、私は無駄にするわけにはいかない。そして今イギリスにいれていることにも充分感謝しなければならない。
だから仮に明日、「あと余命1年です。」と言われたとしても、今と変わらない生活を最後まで送っていくだろう。
それくらい今の私は人生最高潮に幸せで恵まれていると、胸を張って言える。

20代後半に作った「人生計画リスト」

恥ずかしながら、私は20代後半のときに、「人生計画リスト」というものを作っていた。
先日久々に開いてみたらそこには6つの案が書いてあり、現在のイギリス行きのプランは一番最後に記されていた。
当然当時はそのまま大学院にいくケースまでは想定していなかったが、なんでここまで自分は海外にこだわるのか、これまでの自分の生い立ち等も細かく書かれており、数年経った今、読み返してみたら、全て納得のいくものばかりだった。
20代後半ながらにして色々人生考えていたのだなあと思うと、何だか泣けてきた。よくやったぞ私!

よく夢ややりたいことを紙に書いたりリスト化したりすると叶うと言うけれど、これは本当だと思う。
最初は半信半疑だったが、20代の頃書いていたことが実際今叶っているし、定期的に人生プランを見直すと、おのずと自分が叶えたい方向に物事が向かっているような気がしている。

このようなことを包み隠さず何でも話せる親友が私には2人ほどいるが、「ここまで考えられるなら起業でもしたら…?なんか向いてる気がする。」と言われたことがある。
経営者向きではないのは自分自身がよくわかっているのでそれはなさそうだが、今後大学院でコミュニケーション学を学んでいくにあたり、自分の特性と掛け合わせてできることは何なのだろうと、最近また模索中である。
次は40歳までの人生計画リストを作成していくつもりだ。

人生って思いのほか短い

私はなんとなく80歳くらいまで生きらればいいなと思っている。
どちらかというと人生短く太く生きたいタイプだが、とはいえ60歳くらいまでは健康体でいたい。
今私は33歳なので、単純計算してあと人生50年、健康体で過ごせるのはあと30年弱くらいだろうか。
唯一時間だけは地球上の全員に平等に与えられている。だからこそ、無駄なことをしている時間など私にはない。

このタイミングでNetflixの作品に出会えたことにも何か意味があるんだろうし、あと1か月強で大学院生になる今、再度自分と向き合いながら、1日1日を大切に過ごしていきたい。


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