あかねの(ための)一首評 11
エスカレーター、えすかと略しどこまでも えすか、あなたの夜をおもうよ
初谷むい「花は泡、そこにいたって会いたいよ」
* * *
この歌のよさを語る言葉をぼくは持たない。最近あかねの(ための)一首評を書いていて、それは楽しく、そしてすこしだけ苦しい。
※追記※
この記事は評になっていません。あらためて評を書きましたので、よろしければそちらもご覧ください。
※※※※
ぼくがエスカレーターと聞いて思い出すのは京都駅のエスカレーターだ。あれは暑い夏の日の終わり、大学院の受験の帰り道だった。手応えが全然なかったぼくはひどく落ち込んでいて、ちょっと真っ直ぐには帰れない気持ちになっていた。
京都駅ビルは有名な建築家の手になるもので、京都の景観をそこなわないように工夫しながらも現代的なたたずまいをしている。とくに大階段は目立つ。京都駅ビルといえば大階段で、その日もチアかなにかがイベントをしていて、人混みはちょっと息苦しいほどだった。ぼくは人混みから逃げるようにして反対側のエスカレーターに乗った。ホテルグランヴィアとか京都劇場のあるほうだ。
驚いたのは、人気がいっきになくなったことだ。すこし風が強かった気がする。ぼくは立入禁止区域に迷い込んだみたいな心細さを覚えた。でもそのときはそれがよかった。ぼくは日陰を求めて、やっていないらしい展示会場の入り口っぽい場所で座りこんだ。先客がいた。
一匹の蝶だ。サイズは500円玉大か。全身が黄色で、翅の縁に黒い模様があったような気がする。アカシジミだろうか。蝶は日向と日陰の境目あたりにいた。斜めに身体を半分にされながら羽を開いたり閉じたりしていた。
ちょっと邪魔するよという気持ちでぼくは座った。逃げられてもいいし、逃げられなくてもよかった。ぼくはカバンと帽子を放り出すとペットボトルから水を飲んだ。汗を拭った。
ぼくは大学院の受験というものを理解していなかった。それは「研究者への道」であり、つまりおまえはどんな研究プランを見せるのかが問われる。テスト勉強をすればいいわけではない。当時ぼくはそれを理解していなくて、手応えのなさにイライラしていた。と思う。
ぼくは物言わぬ先客に愚痴を言いたいような気持ちだった。どうして日陰に入らないのだろう。変わらず羽を広げたり閉じたりしている蝶を見ながら、ぼくはとつぜん理解した。
こいつは死のうとしている。
羽の動きは随分とゆっくりだった。そもそも蝶は地面にとまるものだろうか。もっと手すりとか壁とか高いところに止まっているべきなのに。いつのまにか太陽が動いて、蝶は全身影の中にいた。ぼくは肌寒さを感じた。
そのあとどうやって帰ったのかよく覚えてない。それ以上蝶のことを見てられなかった。気がついたら実家にいた。ペラペラの封筒が送られてきてぼくの夏は終わった。
ぼくはその冬の受験で無事に大学院に合格できたけど、あの日見た蝶のことがいまでも忘れられない。
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