あかねの(ための)一首評 11'


エスカレーター、えすかと略しどこまでも えすか、あなたの夜をおもうよ

初谷むい「花は泡、そこにいたって会いたいよ」

* * *

 前回はこの歌について真摯に向き合わなかった。ので、もう一度向き合ってみたい。できるかわからない。やる必要がある気がする。

 えすかが何を指すのかが、この歌では焦点になる。いろんな解釈ができる。でもぼくはいちばん素直に、これはエスカレーターそのものを指している、と考えるのがいいと思う。

 ぼくは夜のエスカレーターを見たことがない。ひと昔前のエスカレーターは警備員さんが鍵穴にキーを差し込むことでオン・オフを切り替えていた。最近のやつはもう少しインテリジェントで、人が近くにいないときはちゃっかり停止して省エネに努めている。えすかはどっちだろう。なんとなく、後者であるような気がする。近代的でおしゃれな印象。池袋とかにありそうな感じの、そういう建物のインテリジェントエスカレーター、それがえすかだ。

 えすかは賢いから、人前ではおとなしいエスカレーターを演じている。人が来たときにはさっと動いて、ちょっとした楽を提供してくれる。えすかはシゴトができるのだ。それがえすかの昼の顔だとして、ぼくたちは、えすかが夜にどうしているのか知る機会を持たない。

 ぼくの想像なんだけど、ひょっとしたらえすかは夜めちゃくちゃ動いてるのかもしれない。だれもいない建物の中で。急に止まったり逆走したり、あるいはすごいスピードになってみたり。えすかは自由である。人間のためではない。自分のためにエスカレーターであることができるのだ。

 あるいは、そうであってほしいと主体は思っているのかもしれない。

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