あかねの(ための)一首評 概論


 みなさんはいつの間にか歌えるようになった音楽ってありますか? ぼくはある。耳に残る流行歌とか、アニメのオープニングとか、最近ならSpotifyで誰かのリストを聞いててなんとなく覚えた曲なんてのもある。ちょっと時間のあるお休みの日に、部屋に掃除機をかけたりしながら、ふと口ずさんでいる自分に気づく。そういう曲ってある。

 歌詞カードとにらめっこして覚えたわけじゃないから歌詞はあちこちあやしい。だから気になって調べてみたりして、「あーこんなこと歌ってたんだー」みたいな意外性に驚くことはぼくには結構あるんだ。

 ぼくは暗唱できることがいい短歌の条件であると考えている。でも、短歌を覚えようと努力する人ってあんまりいないんじゃないか。だからそれは自然に暗唱できるようになったものを念頭に置いている。日常のふとした瞬間頭の中に浮かんでくるような、そういう短歌がいい短歌じゃないかとぼくはなんとなく考えている。そしてぼくは基本的に、いつの間にか覚えてしまったような短歌が好きなのだ。

 ぼくはそういう感じでずっと短歌をやってきた。だからなんというか、一首評みたいなやつには全然価値を感じてなかった。このままでもいいのかもしれないけど、最近ちょっと事情が変わった。

 ぼくは短歌がうまくなりたい。

 それは、世間一般で言われるところの名歌に、自分を漸近させるプロセス、ではない。あるいはもっと具体的に、どこかの短歌賞で賞を取って認められたい、というのとも違う。そういう願望がないわけじゃない。ぼくは承認欲求が強い。いつかデッカく旗を揚げて、短歌でタワマンぶっ建ててみてーなーみたいな願望はいつだってどこかにはある。

 でも、ぼくにとっての「短歌がうまくなりたい」とは、そういうことではない気がするのだ。

 それは、自分が好きになれるような短歌を、自分でも作ることができる、たぶん、その一点に尽きる。

 そこまで考えた時、ぼくは自分の好きを言語化してこなかったな、ということに思い至った。自分がなにを好きなのかわからなければ、それを作ることはできない。そういうわけで、ぼくはぼくの好きな歌について、なるべく言葉を尽くして、その好きなところを明らかにしたいと考えた。あかねの(ための)一首評と銘打っているのは、そーゆー都合なのだ。

 これはぼくによるぼくのための一首評だ。でももしそれがあなたにとっても価値があるならばそれは無上の喜びである。ぼつぼつやっていきます。よろしくお願いします。


 これまで書いた評については次のマガジンにまとまっています。よかったら御覧ください。


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