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家族って、血の繋がりって、なんだろう

26歳のとき、3歳になったばかりの娘を連れて私は離婚した。

前夫は繊細で静かな人で、喧嘩らしい喧嘩をしたことはなかったけれど、だからといって、分かり合えていたのとも違っていた。いつも何を考えているのか掴めないようなところがあった。

娘が生まれ、その分かり合えない部分は、より一層深くなっていった。

前夫は両親から遊んでもらった記憶がほとんどないという。そのせいかあまり子供に興味を示さない姿に、「可愛く思えないの?」と私が聞くと、「娘とどう接していいのか分からない」と、たびたび彼は言った。娘との間に、見えない透明の厚い壁でもあるようだった。

娘が1歳を過ぎた頃だったか、前夫が「なぜ子供ばかり優先するの?」と悲しげな顔で聞いてきたことがあった。

その真意がわかりかねて「赤ちゃんなんだから、当たり前でしょう。」というと「それが僕にはまったく分からない。」と心底がっかりしたような表情をした。

確かに言う通り、私は娘の世話でいっぱいいっぱいになっていたのかも知れない。

***

娘が生まれて半年ほど経ったとき、学生時代の友人が遊びにきた。
そして彼女は私の顔をまじまじと見て言った。

「少し外に出て、働くとかしてみたら?」

「どうして?まだこの子はこんなに小さいのに。」と聞くと、「顔つきが昔と全然変わってしまったよ。なぜそんなに思い詰めているの。」と諭すように言われた。

娘は生まれつき心臓に疾患があって、体がもう少し大きくなったら手術をしましょう、とお医者さんに言われていた。

急を要するほどではなかったものの、大事な娘にもし何かあったらと、日々気が気ではなかった。一日に何度も、昼寝をしている娘、夜は布団で横に寝ている娘を確認するのが習慣になっていた。ちゃんと息をしているか、始終確かめていないと心配でたまらなかった。

まとまって眠ることが出来なくなっていたけれど、子育てなんてそんなものだと思っていた。友人に指摘されるまで、まったく気づいていなかったのだ。自分が少し思い詰めすぎていることに。

振り返ってみれば、私の頭の中にはいつも娘のことしかなくて、前夫がどんな表情をしてどんな風に暮らしていたのか、ほとんど思い出せない。なぜか、その頃のことを思い出そうとすると、まるでその顔にモヤがかかったようになる。

そんな風にして、少しづつ3人の空間は壊れていき、どうやっても直せないほど粉々になってしまった。

ある日を境に、前夫は家に帰って来なくなった。

とりあえず実家に身を寄せ、離婚調停の最中に娘の心臓の手術が決まり、仕事と、弁護士さんのところや裁判所、病院の付き添いと駆けずり回って、へとへとに疲れ果て「もう2度と結婚などしない」と心に決めた。こんなに嫌な思いをするくらいなら、どんなに大変でも娘と2人で生きていこうと考えていた。

***


それから4年ほど過ぎたころ、現在の夫と出会った。

5歳下の彼は、あの頃はまだ25歳だった。18歳で料理人になったので、もう立派にコックさんとして働いていたけれど、まだ子供を持つことなんて考えたこともなかっただろう。

初めて会った時に、とても笑顔が可愛らしい人だと感じた。「こんな風に素直に笑う男の人に会ったことがないな」と思った。

私に娘がいることを知った上で付き合い始めて、数ヶ月後には「3人で一緒に暮らそうよ。」と言ってくれた。まだ娘と会わせたこともなかったし、25歳で6歳の子供の父親になることに不安はないのかと聞くと、「たぶん、大丈夫だよ。」といつものように笑って言った。

私は、もし娘がどうしても彼のことを受け入れられなかったら、結婚は諦めようと考えていた。

***

初夏のある日、初めて3人でドライブへ行こうということになった。娘は極度の人見知りで、よく知っている人以外には喋らなくなってしまう。果して大丈夫なのだろうかと不安で仕方がなかった。

迎えに来てくれた彼が、娘に向かって「初めまして。」と言うと、娘は緊張したような不審そうな表情で、私の後ろに回って顔を隠してしまった。彼も、やっぱり少しだけ緊張しているように見えた。

彼の後ろの席に座った娘は、モジモジと居心地悪そうに黙り込んでいる。その横顔は少し不機嫌そうにみえる。私はそれを、ずっとハラハラしながら見守っていた。

そんな娘の様子をバックミラー越しに見ていた彼が、ニコニコとあれこれ話しかけてくれる。

娘は初め、黙ってうなずくか首をふるだけだった。

そんな反応など気にも止めずに、彼は娘に話しかけ続ける。

やがて緊張が解けてきたのか、娘は小さな何かを彼に見せようと、後ろから運転席に向かって手を伸ばした。

それは、どこへ行くにも持ち歩いていた、娘の宝物のポケモン人形だった。仲良くなりたいと思った相手にだけ、いつも彼女はこれを見せる。

おずおずと人形を見せて、彼の反応をうかがっている。

バックミラー越しに彼が「それ、なあに?」と笑顔で娘に尋ねると、ホッとしたような嬉しそうな顔でポケモンの名前を教えた。

滅多に初対面の人に懐かない娘が、次から次にバックからポケモン人形を取り出して彼に見せて喜んでいる。

時々いたずらをして、キャッキャと笑う。それを眺めていたら、「もしかしたら3人でやっていけるかもしれない。」と思えた。

***

再婚して3人で暮らし始めてから、もちろん何も問題がなかったわけじゃない。

最初の数ヶ月は、何事もないように、娘も楽しく夫と過ごしているように見えた。けれどいつからか、私と一緒に遊んでいるところに夫がやってくると、少し不機嫌になったり、避けるような行動を取るようになった。

気になって「パパが一緒だと嫌なの?」と聞いても、黙り込んで何も答えない。私と二人きりでいる時は、いつもと変わらない様子だったから、慣れるまでは仕方ないかな、と思っていた。夫も気づいていて、少し気にかけているようだった。私にそっと尋ねてくることもあった。

そんなことが、ひと月ほど続いた頃。やっとその理由がわかった。

私と娘が散歩に行こうとすると、夫が「一緒に行きたい。」と言った。

すると娘はプイッとむくれて、自分の部屋に戻ってしまった。「どうしたの?」と聞いても何も答えない。少し頬を膨らませて、うつむいている。

しばらく待っても、何度聞いても答えないので、「じゃあ、パパとママと二人でお散歩に行っても良いのかな?」と言うと、ポロポロと涙をこぼしながらこう言った。

「・・・ママはもう、わたしよりパパの方が好きなんでしょ。」

ああ、そういうことだったのか。

恥ずかしながら、その時初めて気が付いた。娘は、母親を取られたと思って寂しかったのだ。

「それは違うよ。ママにとってなっちゃんもパパも同じように大事だよ。」と言うと、「だってママはパパとばっかりお話しするもん。」としゃくり上げながらさらに泣いた。

思えば、離婚してわたしの実家で暮らしていた頃から、この子は我慢ばかりしてきたのだ。

生計を立てることに必死で、母に娘を預け、彼女が起きる前に出勤し寝てから帰宅することが日常だった。何しろ通勤に片道二時間以上かかっていたし、残業が当たり前の仕事だった。家に帰ると、娘が昼間に書いたという絵手紙を渡されたことがあって、「はやくかえってきてね。」と、たどたどしい文字で書かれているのを見て胸を突かれるような思いがしたこともある。

そういえば、娘は大人になってからこんな話をしてくれた。「あの頃、ママがいない時間に、ママが好きだったCDを一人で聞いていたんだよ。一緒にいるような気がして安心だったの。でも今は、あの曲を聴くとなんだか寂しい気持ちになるから嫌いなんだ。」

どれほど寂しかったんだろうと思う。

心臓の手術を受けるために入院した時も、いつも我慢していたことを思い出した。

入院した病院は完全看護で面会時間が終わると親たちは帰らなければならない。その時間がくると子供たちは競うように泣いていた。娘も寂しそうに目を潤ませはするけれど、泣くまいとして「おねんねしたら、ママまたくるね?」と自分に言い聞かせるように言いながら、手を振ってくれた。


きっと我慢ばかりさせていたから、なかなか言いたいことが言えなくなってしまっていたんだろう。3人で一緒に暮らし始めてからも、彼女の我慢はずっと続いていたのだ。なぜわかっていなかったのだろうと反省した。

どんな時も「君がとても大事だよ。」と伝えるようにしようと、この時に初めて強く意識した気がする。

***

一方、夫は夫でずっと手探りで父親をやってくれていた。「僕はきっと父親らしくはなれないし、無理になろうとは思わないよ。」と彼に言われた。楽天的な彼らしいなと思った。

彼が無理に父親らしくしようとしていたら、おそらく娘も嫌だったろう。

夫と娘の関係を言葉で表すのは、とても難しい。

一緒に暮らし始めてから、おそらくお互いの努力で本当に少しづつ少しづつ距離を縮めていった。二人とも無理をしない範囲で、マイペースに歩み寄っていった。

いつも楽しそうに笑っている夫とクールな娘。この二人の取り合わせは、今でも見ていると本当に面白い。共通点はというと、夫も娘も筋金入りのマイペース人間であるということだ。かといって気を遣っていないわけではなく、血の繋がらない親子ならではの気遣いが二人にはある。

ふと考えればとても不思議なのだ。「夫と娘は血が繋がっていない」という事実が3人の共通認識として存在している。それでも好物の話題になったりすると、夫と娘の好みがあまりにも似ているので「やっぱり親子だねー」と二人は言ったりするのだ。


今の夫と再婚した時6歳だった娘は、28歳になった。

彼女はいま、仕事でも家庭でも誠実なパパを尊敬しているし、何かというと娘を車で送迎したがる夫に「自分は愛されている。」と理解している。

夫は夫で、娘の進学や就職など人生の転機が訪れるたびに「父親として何もしてやれていないのではないか。」「自分が父親になって、娘は幸せだったのだろうか」と悩み、娘が体調を崩すたびにオロオロし、いつでも娘のことで頭がいっぱいの様子だ。

でも、私と夫、私と娘の二人だけでじっくり話していると、その根底にはやはり「血が繋がっていないこと」を意識していると感じる。

二人ともどんな気持ちで20年間も一緒に暮らしてきたんだろう。血の繋がった両親としか暮らしたことがない私には、結局一生かかったってわかりっこない。

血の繋がりってなんだろう。

血が繋がっているからといって、それに甘えて自分を押し付けてばかりいたら、家族といえど関係は壊れてしまう。

家族でいるということは、案外に難しい。お互いに「家族でいよう」と少なからず努力をしなくては、良い関係は続いていかない。

あの時、中学校に通えなくなった娘を夫は全力で守ったし、力になろうとした。今でも何かと言えば娘のことばかり心配している。

夢が持てないと嘆いている娘だけど、「パパがお店をやるなら、一緒にやりたい。」と言う。

血の繋がりを超えられるのは、きっと一緒にいた時間と努力だ。二人はそうやって絶妙な距離感で、お互いを思って暮らしている。




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