ラジオやnoteやX(Twitter)で色んな発信をしているコーチが、アウトプットの功罪を考える(良い面編)
フリーランスになったり、個人で仕事をすることになったら、一番最初に考えることは、各種媒体をつかったアウトプットの方法だろう。2021年に会社を辞めてコーチとして個人事業主になった私は、noteにTwitterにstand fmとYouTubeと、とにかく思いつく限りのアウトプットを回しまくった。とにかく誰かの目に留まるように、誰にも知られていないフィールドに投げつつけた。
その結果、2024年現在。
初めましての方に、note読みました、Xで投稿見てますと言っていただくことが増えた。とてもありがたいことで、コツコツ続けたきた甲斐があったなとおもう。
だからこそ、アウトプットについて、続けてきてよかったなと思うことをまとめてみたい。
①ここにいる存在を知ってもらう
企業に勤めていたら不要かもしれない。「わたし」を商品としない仕事なら不要かもしれない。そうじゃない人には、「わたし=商品」がここに存在することを、売り場に商品があることを伝えなければいけない。店頭に商品を並ばせず、納品されたまま段ボールに入れておいてはいつまでも絶対に売れない。
まず、「私はここにいます!」と声を出すことは最初の一歩だ。
わたしという人がここにいます!を認知してもらうための一歩として、言葉を使って表現することはとてもおすすめだ。
②自分の考えを知ってもらう
発信は、自分の言葉でないと意味がない。哲学者の言葉や良き格言にも勝てないのが、今、自分自身から発せられた生身の血が通った言葉だ。これほど強烈なものはない。
私は悔しかった、悲しかった、嬉しかった、腹がたった。
その時、感じた言葉はパワフルだ。
世界中のどこか誰かの1人か2人に、ここにこういう考え方をする人がいてその人なんか面白い!と伝わると、何か新しいご縁が始まるかもしれない。
そんな誰かに届けるつもりで、自分の気持ちを書くといいと思う。
③1000人のいいね!より2人のめっちゃいいね!のために書く
誰もが知る有名人や光り輝く肩書きがある人なんて、世の中の0.5%ぐらいだ。みんな誰も自分のことは知らない。
そんなことはわかっていても、つい1度の発信でバズることを期待してしまう。バズったりしない、そうそうしない。
1000人がいいねと言わなくても、出会ったことがない初めましての人が2人めっちゃいいね!と思われたらいいな、そう思って書く。
うやって紡がれた言葉は、命が宿る。実はそれが新しい縁に繋がり、もしかしたら仕事が生まれるかもしれない。そんな種になる。
たくさんの人に喜ばれる内容よりも、どう書くなら2〜3人に強烈に響くようなメッセージを持った方がいい。
そしてそう思うと、たった2〜3人に届けるならば、なんとなく気負わず書けそうではないだろうか。
④私見を好き勝手言っても、罰せられない
自分の意見を好き勝手に発信すると、誰かをものすごく傷つけるのではないだろうか?誰かを嫌な気持ちにするのではないだろうか、そんな気持ちが湧いてくることがある。
特定の方を誹謗中傷したり、事実ではないことを事実のように偽証することは罪になる。当たり前だけどそんな発信は問題外。当たり前にしてはいけない。
そうではない、「私が考えること」「私はこう思った」という「私は〜」という「アイメッセージ」という奴は、言葉や音声にして世界に放つといい。幸い今の日本はそれができる環境にある。本当に、とても幸いなことに。
好き勝手に自分の意見を書けばいい。
そしたらきっと、思ってもいないところから、思ってもいない頃に、半年後・1年後・3年後… ほんといつの日か、その言葉が誰かを連れてやってくる。
⑤今に期待せず、未来へ宝箱を書くつもりになる
令和の時代のデジタルな文章は残る。今日この瞬間に書き残したこの文章が、1年後、2年後、3年後…新しい出会いに繋がると信じて書く。特にnoteの記事は、「作品」として残る。私のnoteも2年前に書いた記事がいまだにずっと読まれているものもある。だから今すぐバズらなくてもいい。1ヶ月後、半年後、急にバズるかもしれないし、1年後に読者に会えるかもしれない。
私の言葉なんて、発信する意味あるのかな?
誰も読んでないけど、無駄じゃない?
そう思った瞬間このnoteに戻ってきてほしい。
自分のことを知ってもらうために発信することは、店舗に商品として陳列すること。まず棚に並べることから始まる。そして少しづつPOPを充実さえて、いかにその商品が魅力的かを補足していけばいい。
まずは、伝えたいと湧き出てくることから、伝えてみよう。
数字で見える応援が、日々の励みとなります。一瞬でも、あなたの人生に何かハッピーをお届けできたらこれほど嬉しいことはありません。