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長男が初めて「学校に行きたくない」と言い出した。

「明日、学校に行きたくない」

日曜日の夜。
就寝時刻となり、消灯した直後に突然長男が呟いた。

「そうなんだ。どうして?」

「だってさぁ、メンドクサイんだもん」

「何が?」

「書くのが嫌なんだよー!メンドクサイ。全部メンドクサイ!!」

その日の夜、どうやって話を収束させたのか記憶がない。

だけど、翌朝も「メンドクサイ」を連呼していた。

「今日行かない!」と長男。

「じゃぁ僕も保育園休む!」と次男。

月曜日の朝から、途方に暮れる。


思い当たるフシがある


長男のが行きたくない理由として挙げた「書く」という行為。
これについては、本当だと思う。

長男の字は残念ながらあまり綺麗ではない。

一生懸命、ゆっくり丁寧に書けば「それなり」ではあるけれど。
毎日、何度も名前を書いたり、ノートを書いたり、「書く量」が多すぎて文字通り「メンドクサイ」らしい。

長男自身も読めないような字を書いている。


「学校に行きたくない」発言があった前日。

同じ保育園だった女の子の家に遊びに行った。
そこで宿題の話になり、その女の子の「作文帳」を見せてもらった。

すると、そのノートは全てのページが「まるでお手本」の様な綺麗な字で埋め尽くされていた。

思わず「えっ!凄い綺麗!!」と驚いた。

そして女の子を褒めて、長男に「見てごらん!凄いね~!」と自分の興奮のままにノートを見せた。


こうして振り返るとよく分る。

きっと長男は、この時に凄く嫌な気分だったに違いない。

その場で長男に向かって「あなたと比べて字が綺麗」なんて言ってはいない。

だけど間接的に感じてしまったのかもしれない。


学校のプリントも、絵日記の宿題も。
漢字の間違いどころか、そもそもの文字がグチャグチャで指摘せずにはいられない場面が多々ある。

私にも、夫にも言われている。

「もう少しゆっくり書いてごらん」

「丁寧に書いてみよう」

言葉は選ぶものの「あなたの字は汚い」というメッセージになってしまう。

他者の評価


長男の字に関しては、個人面談で先生に相談したこともある。

先生も「難しいですよね~」と共感してくれた。

字がグチャグチャなまま絵日記を提出したら花丸はあげられないので、字を綺麗に書かないと花丸は貰えないと理解して、段々直ると良いですね。

みたいな回答だった。

でも、長男自身は「花丸が貰えるか?」なんて気にしてなさそうだ。

相変わらず「メンドクサイ」の一言で書き直しを断固拒否する。
書き始める時に親が隣に座る事も嫌らしい。



「書く」と言えば、絵も苦手だ。

絵日記を書いた時、自分の絵を見て「こんなの嫌だ!」と急に悲しそうな顔をした事がある。

「どうして?」と聞くと

「友達に、気持ち悪い絵とか、ヘタとか言われるから」と言っていた。

こういう時、凄く難しい。

「気にするな!」なんて言っても気になる。

「じゃぁ、お友達も驚く様な上手な絵を描いてみよう!」なんて言っても、その誘いに乗ってくれる程「素直な年齢」ではなくなりつつある。


「他者評価」は勿論だけど、長男の「自己評価」としても、自分の描いた絵が頭の中で思い描いていたものと、きっとかけ離れているのだ。

正解がない難しさ


この記事を書きながら、子供とのやりとりを思い出して

「こういうセリフを言われた時に、どう答えるのか正しいの?」と正解を探求めていた。

でも、過去にも読んだ本の通り「子育ての正解」なんて分からないのだ。

子育てには正解がないのに、正解を追い求めすぎると、どこにもたどり着けずに堂々めぐりをしてしまう気がします。
子どもが親にいちばん言ってほしいのは、
「あなたのことを信じている。たとえ物事がうまくいかなくても、私たち親だけは最後まであなたを信じる
という言葉ではないでしょうか。

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長男の「文字を書く事がメンドクサイ」という発言についても。

確かに書く事が面倒な事は間違いない。
それは、親が「上手だね」と言っても「汚いね」と言っても、恐らく面倒な事に違いはないのだ。

大人だって
「綺麗な文字を書く事に快感を覚える人」もいれば
「文字を書く事が嫌いな人」もいる。


文字を書くのが嫌いな人が、職業として「黒板に沢山文字を書く学校の先生」を選ぶ事は少ないだろう。

更には、「書く」事がメインの職業(書道の先生とか)を覗けば、そもそも「手書き」が必要な仕事なんて殆どなくなっている。

そう。
難しいのは「この勉強は将来役に立つのか?」という問いに対して「YES!」と胸を張って言えない事が増えてきているのだ。

勿論、テストや受験の為には必要だろう。
だけど、そもそもテストや受験を通して「評価」をする事がどこまで重要なのか。

「書くのがメンドクサイ」と言っていた長男も、RISU算数の様なタブレット学習は毎日コツコツと頑張れている。

何故か突然「今日は腹筋を100回やるよ!」と言って、寝る前に汗をダラダラかきながら最後までやり切ったりする。


大人の世界でも同じだと思うのだ。

自分に合った方法なら頑張れる。

自分で決めた目標なら頑張れる。

そう考えると、「〇年生のこの時期にはコレ」みたいな積み上げ式の学習は自発的な動機を阻害する気がして仕方がない。


「まだ小2なのにそんなのは甘えだ」と言われたら、それもそうかもしれないけれど。

私達が小2だった頃とは時代が違うのだ。


身体の発達とか、普遍的な事は勿論あるけれど。
正解は時代に合わせて変化する事も忘れずにいたい。

受け入れて待ってみる

月曜日の朝。
困り果てた私は正直に話した。

今日はお父さんもお母さんも仕事がある。
会社には「有給休暇」があって、年に20日位お休みを貰える。
だけど、そのお休みは具合が悪い日や、皆で旅行に行ったりおでかけをする時のために使いたい。
もし今日休んだら、この先の「お楽しみ」の日に休めないかもしれない。
それでも今日、お母さんが休んだ方が良いかな?

喰い気味に「休まなくて良い!」と泣かれた。

可哀想かもしれない。
迷った。
でも、「正解」はないのだから正直に話すしかない。

その日は何とか学校へ行き、帰宅した後は特に変わりがなかった。


だけど水曜日は、帰宅してからも中々動き出せなかった。

手を洗う、宿題や連絡袋を取り出す、明日の準備をする。

というルーティンに取り掛かれずボーっとしていた。

前日にプールがあったので疲れがたまっているのかもしれない。


私は「早く」と言いたいのをグッと堪えて、膝の上に寝かせて頭を撫でた。

時間にして約20分。

途中で痺れを切らして、小説読んでたけど(笑)

長男が自ら動きだせるまで待った。

平日の夜に、結構シンドイ時間だったけど。


何が正解なのか分からない。
子供と向き合うって難しい。

だから、「色々試してみる」しかない。

今日も、楽しく頑張ろう。

あ~、早く小説の続きが読みたい(笑)

〈あとがき〉
因みに今読んでるのは林真理子さんの「8050」という小説です。
「8050」とは80歳の親の年金をアテにしてる50歳の独身引きこもりの子供の事だそうです。
小説の中でも、親が子供が引きこもり始めた時の発言や対応について思い悩むシーンが沢山あり引き込まれました。
子育てって、本当に難しい。片手間でできるような仕事じゃないよね。

今日も有難うございました。






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