かみさま ほとけさま
朝、起きてまず窓をあけて風をいれる。その日のお天気と空気をみてから、台所にたちお湯をわかす。ひとつはやかん。もうひとつは鉄瓶に。前の晩に洗っておいた大中小のコップと湯のみを、コップには水を注いでから小さいお盆にのせる。お湯がわくまでにお茶の準備。両親がいた頃は必ず緑茶だった。「朝茶は難逃れ、だからお茶を飲むの。」と母はいった。必ずだった緑茶は自分の好みでほうじ茶にかわった。
やかんがわいたらポットへいれる。あとでコーヒーをいれたり、料理に使うためにいれておくのだ。鉄瓶がわいたらお気に入りのそば猪口でのむ白湯と冷え症予防のための漢方薬をいれた湯のみにいれて、準備しておいた急須のほうじ茶もいれる。小さいお盆にならんだ大中小の湯のみにほうじ茶をそそぐ。大の湯のみはほとけさま。中はかみさま。小は台所のかみさまのお荒神さまにお供えするのだ。
これは祖母がしていたことだった。朝ごはんの前にお水とお茶をお供えしてお経をあげていた。祖母亡くなって、父がするようになり、その父が亡くなり、母がするようなった。もうお経はあげられてはいなかったが毎朝、必ずされていた。わたしはお線香をあげてお参りするだけだったが、子供のころからのことで毎朝かならず手を合わしていた。
母もいなくなり、すべてわたしがすることになったが母の入院も度々だったのであたりまえの朝のこととしてすんなりと続いてきた。きちんとした作法はよくは知らないが、みてきたことそのまま、毎朝、留守にしなければ必ずしている。考えると具合が悪くてもしているような気がする。そう思ったら自分がしていることとは思えないような不思議な感じがした。
もう別にしなくてもだれからも咎められたりはしない。わたしの他にはする人はもういない。きちんとしないとバチがあたるよ。と、祖母に言われそうだが、だからしなくてはいけないというよりも、わたしの生活のなかにあるあたりまえのこととして、くりかえされてきたことをそのまましている。
ほとけのみなさんはたのしくやっていますか?
かみさまいつもありがとうございます。
お荒神さま、今日もよろしくお願いします。
1日のはじまりとして自然にそのまま続いていく。
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