言葉と絵は似ている

月曜日の聖教新聞に載っていた、「言葉というは心の思いを響かして声を顕すなりという」という言葉を読んで、感じた事を書きたいと思います。

言葉と絵は同じ

というのも、最近、子供の言葉について悩んでいまして。

うちの子供は今だいたい一歳半なんですが、めちゃくちゃ喋るんです。それも、日本語じゃなくて、喃語を。

しゃべりだした頃は可愛いし嬉しかったんですけど、半年ほど経って、最近だんだん辛くなってきちゃいまして。

たいたいたい、とか、まんまんまん、とか、イャーェイヤーとかね。だいたい見当は付くんですけど、本当にそう言っているのかはわからない。

それを、こういう意味かな?何を伝えたいのかな?って考えることに疲れてきちゃってたんです。

で、冒頭の新聞の記事を見て、あ、言葉って心の思いを現してるのか。じゃあ絵と一緒じゃん。と、ひらめきました。

写実的な絵、抽象的な絵

絵に写実的な絵と抽象的な絵があるように、きっと言葉にも写実的な言葉と抽象的な言葉があって。子供の喃語はまさに抽象画なんだなと。

だから、無理に意味を考えるより、その色合いというか、声色や表情を楽しめばいいやと。美術館で抽象画を見るような気持ちで、何描いてあるのかわかんないけど、なんか情熱を感じるわーみたいな感じで楽しもうと思いました。

そしたら、ちょっとだけ気が楽になって、元気すぎる子供のおしゃべりも、心の情熱が溢れてるなーってただただ楽しめるように、なったかな?って感じです。まだ、そう見始めたばかりだけどね。

描かないということ

それと、私は有元利夫さんという方の絵が好きで、その人の本も読んでいたんですが、確か、何かの本の中で、手は難しいから描かないと書いてあったんですね。

言われてみれば、確かに手を隠すような構図が多くて、描いてあってもドラえもんみたいな丸い形で描いているんです。

その事を知った時、こんな凄い人でも描けないものは描かないんだなと思ったのと、それでいいんだなって驚いたことを思い出しました。

言葉も同じ

言葉も同じで、はっきりと思いを書くのもいいけど、書かない方が伝わることもありますよね。全部を書き切らない方が余白を読んでくれたりとか。

そういう意味でも、言葉と絵は同じだなと思った、今日はそんな話でした。