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発表できない体験発表

創価学会の体験発表は信心で乗り越えた結果がなければ意味がありません。そこで、信心で乗り越えられなかった、多分、このままでは発表できない私の体験発表をしたいと思います。

信心を貫けなかった父

真面目な学会員だった父が病気になったとき、色んな人が「信心で乗り越えよう」「実証を示そう」と励ましてくれました。父も最初は、病を克服して体験発表するぞと、意気込んでいました。

しかし、病状が進み、色々な本や論文などを読んで、この病気は治らない病気だとわかってから、父は目に見えて落ち込み、勤行唱題も嫌がるようになりました。まわりからの励ましにも、「いや、これは治らないんですよ」と怒り気味に言い返していました。

そしてある晩、病院のベッドで一人、亡くなりました。誰もその瞬間に立ち会えませんでした。

父は、最後の最後に、それかもっと前から、自分に負けてしまったのだろうか。という思いが私の心に残りました。

後日、仏法に理解のあるカウンセラーさんに話すと、追善回向の意味について教えていただきました。(一般の方でも、お盆のときに追善回向とか言いますよね)

その方いわく、追善回向というのは、残された人が幸せになり、その幸せを亡くなった人に回向する(回り向かわす)こと。生きてるうちは、自分で自分を幸せにできる。でも、亡くなったあとは自分ではできない。だから、残された人が幸せになり、それがそのまま亡くなった人をも幸せにするんだ。ということでした。

ちゃんと仏典なんかを確認したわけじゃないのですが、私はこの話に納得して、心の突っかかりが取れました。

父は確かに信心を貫けなかったかもしれない。今も惨めで苦しんでるかもしれない。でも私は悩まなくていい。私は私の幸せだけを考えていい。冷たいようだけど、その方が結果的にはたくさんの幸せを父に送ることができるんだと思うことができました。

私が悩んでるときは父も一緒に悩み、悩みから抜けて安心したときは父も一緒に安心してる。だから大丈夫なんだな。と安心しました。

自己犠牲の母

私は、自分を大切にすることが一番大事なんだと思うようになってから、とても生きやすくなりました。でも、同時に家族のことが気がかりになりました。特に母は、私から見て、とても自己犠牲の人でした。

仏壇に置かれた母のご記念項目(叶えたいことリスト)には、いつも家族や他人のことだけが書いてありました。いつも自分自身より周りを心配してるように見えました。母は、信心を離れた子供(私の兄弟)のために聖教新聞を取り続けていました。

そんな母を見るのがとても辛くなり、「お母さんが、新聞を取り続けてるのを見るのが辛い」「自分のことをもっと考えて欲しい」と伝えたことがありました。今まで母に意見することなどなかったので、怖くて涙が出ました。母が怖いというより、本音を話すのが怖かったんだと思います。母は、「そっか…」の一言でした。

人を変えることはできないとわかってるけど、変わってほしい。そんな辛さをまたカウンセリングで話しました。そのとき教えてもらったのが、内道と外道です。

ざっくりいうと、母のことが嫌だと思ったとき、ただ、このままでは嫌だ、変わってくれなきゃ嫌だ、と感じることが内道。こうすれば変わるかな、と自分の頭で考えたり自分の行動で人を変えようとするのが外道ということでした。

つまり、私がやるべきは母を説得することではなく、「あんなに自分をないがしろにしてる(ように見える)お母さんは嫌だ!見てると苦しい!こんな思いにさせるお母さんなんて大嫌いだ!」と自分の本音の気持ちを感じることだということでした。

実際やってみると、母への怒りが涙と一緒にだばーっと出てきて、出し切ったあとはすっきりした気持ちになっていました。

これで母が変わったわけではないのですが、私の気持ちは変わりました。確かに母は自己犠牲してるのかもしれない。この先そのことですごく苦しむかもしれない。でも、母はちゃんと自分で乗り越える。私は心配しなくていい。と割り切れたんだと思います。

母を嫌だという気持ちは無理に消さなくていい。とわかってから、母を見ても苦しいと思わず普通に話せるようになりました。嫌だと思うこともさらっと言えるようになりました。ただ、わかっててもつい忘れて、苦しくなることはあります。このnoteはその時のための備忘録でもあります。


これは単なる親離れの話かもしれません。こんなことは中学生くらいで済ませることなのかもしれません。でもこれが私のタイミングだったのかなと思います。このおかげて生きやすくなったので、結果オーライです。

信心で乗り越えた!って感じではないのですが、仏法の教えがあったから今があるので、やっぱり仏法に出会えてよかったなと、感謝しています。

以上です。
ご清聴ありがとうございました。