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「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」について

これは、御書にある言葉で、創価学会の人なら誰でも知ってる一節だと思います。

これを読んで、「自分の心に従っちゃいけないんだ。自制しなきゃ」とやりたいことを我慢して苦しんでる人が結構いるじゃないかと思います。私がそうでした。

先日、この言葉について、オボクリニックの於保香峯子さんが以下のように語っていました。(インスタライブで、視聴者からの質問に答える流れ。)

ポイントは、師匠なんです。
師匠って、王様とか主人じゃないんですよ。師匠なんです。
師匠ってどういう人かというと、弟子の願いを叶えてあげる人なんです。弟子の行きたい場所まで連れて行ってあげる人なんです。
弟子が「師匠のように強くなりたいです」って言ったら、「じゃあ強くなれる場所に連れて行ってあげよう」と言う。これが師匠なんです。
師匠というのは、弟子を小間使いに使うんじゃないんです。逆なんですよ。
だから、どこに行きたいかを決めているのは弟子(心)なんですね。
「弟子にしてください」というのは、つまり弟子側が「私の人生どうやったら満足できるか」と考えたときに、「あ、あの人みたいになりたい」「あの人の言ってることをもっと知りたい」と思う。だから、「あなたの下で、私を行きたいところ(人生の満足)につれて行ってください」と言う。
そして、師匠が「わかった連れて行ってあげよう」と言う。これが師弟関係なんです。
だから、師匠というのは弟子(心)のためにいるんですよ。弟子(心)の行きたいところに連れて行ってあげるという役割なんです。

そして、例として、あるトップフィギュアスケーターの選手の話をします。

その選手は、練習をものすごくする人なんですが、ある日、インタビューで「練習をしたくないと思うときはありますか」と聞かれて、「しょっちゅうあります」と答えるんですね。
そういうときはどうするかというと、嫌な日はまず、嫌な気持ちを認めるそうです。このとき、「駄目だろ、そんなんじゃ金メダル取れないぞ」なんてことは思わない。「嫌なんだ、仕方ないね。じゃあ練習しなくていいよ」と認める。
そのあと、「じゃあ、スケートリンクまで散歩だけしてみる?」と自分に聞くと「散歩だけならいいかな」という気になる。スケートリンクまで行っても、やる気にならなければ彼はやらないでしょう。でも、行って、他の選手が練習してるのを見ると必ずやりたくなるそうです。だから結局必ずやることになる。
また彼は、別の質問で「スケートをやりたくなくなったらどうしますか」と聞かれると、「すぐやめます」と言ってるんです。つまり子供の自分(心)がやりたいからやってるんですね。

この話を聞いて、私はとても気が楽になりました。
元の話は、You Tubeにあるので、興味があれば聞いてみてください。27分頃からこの話になります。