学会活動にやらなきゃいけないことも、やっちゃいけないこともない
これは、過去に一度公開して、でもなんかもやもやして取り下げた記事ですが、今の気持ちに近いので、また公開することにしました。
学会活動ってなんのためにあるのか。
全部、自分のためです。
だから、やりたいこと、楽しいなって思うことだけやっていればいいんです。
自己中になってはいけないから、学会のために、人のために、やりたくないことをやっていませんか。
たとえば、
折伏したくないなと思うなら、しなくていいんです。人に会いたくないなら、会合も部員さんまわりも行かなくていいんです。財務も、新聞購読も、やりたくなければやらなくていいんです。
学会活動ってやらなきゃいけないことがたくさんあるようにみえますが、全部、誰かがやりたくて始めたことです。あなたがやりたいと思わないならやらなくていいんです。
逆に、やっちゃいけないこともたくさんあるようにみえますが、全部、あなたがやりたいならやっていいんです。初詣行きたいなと思ったら行っていいし、チャペルで結婚式やりたければやればいいんです。
でも、親や、今まで支えてくれた同志を裏切ってしまうかもしれない。悲しませてしまうかもしれないと、優しいあなたは思うかもしれません。
確かに、悲しむかもしれません。でも、それはその人たちが自分で乗り越えるべき感情です。あなたは全く悪くありません。
まして、謗法かもなんて不安にならなくて大丈夫です。だって、仏は自分なんです。仏がやりたいって思うならそれが正しいんです。
やりたいのに我慢したり、やって罪悪感を感じる方が謗法なんだと思います。
池田先生も何度も言われてます。宗教のための人間になってはいけない。人間のための宗教でなければいけない。って。
少しでも窮屈に感じることがあれば、自分にやっちゃだめとかやらなきゃだめとかダメ出しをしてるはずです。
そんな不安な自分に、そのままで大丈夫だよ〜と安心させてあげるのが、本来の信心なんだと思った話でした。
追記
自分の感じたままに動けば、色々な感情にぶつかります。やりたいことができて楽しい時もあれば、親が悲しむ姿を見て苦しくなったり、「あなたは間違ってる」と言われて落ち込んだり、いつの間にかまた我慢してる自分に気づいて愕然としたり、現実が変わらず焦ったり。我慢してた方が幸せだったかもしれないと思うこともありました。
私はカウンセリングを受けながら、こういったことに向き合いました。今はカウンセリングを受けていませんが、色々な感情が出てくることは変わりません。
だから、あなたもやってみろと無責任にいうのは、危険だとも思ってます。
カウンセラーさんから言われたことも載せておきます。
何かを変えようとするとき、怖い、不安だという気持ちが出てくるのは、自分を守ってるということだから、悪いことじゃない。それを無視して「変わらなきゃ」と無理をするよりは、「そうだよね、怖いよね。」と認めてあげること。不安という感情に「守ってくれてありがとう」と感謝すること。
くれぐれも、無理はしないほうがいいと思いますし、必要ならカウンセリングを受けながら、ゆっくり自分と向き合うのがいいと思います。