心が折れそうになった時に出会ったVTuberという文化
もう昔の話になる、2017年11月9日
Youtubeにとある動画が投稿された
バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさんという人がひとつの動画を投稿した
おそらく僕はその辺りでVTuberという文化に触れた
そして電脳少女シロ、キズナアイ、ときのそら、ミライアカリ、富士葵といった今は多方面に活躍するVTuberを知ったのだけれど
あれからもう1年半以上経っているのに僕は未だにVTuberの文化から離れられないどころかどっぷり浸かっていて家に帰ってきたら即PCの電源を入れてYoutubeを開いている
完全な中毒だ
今は色々なVTuberが増えて、追うことも難しい
飽きやすい自分が飽きずに良くここまでハマってるなとも思う
理由の一つにVTuberが辛い現実を忘れさせ、またバーチャル(という体)の彼ら、彼女らが現実に生きる僕たちを励ましてくれるからだ
特に僕が好きなときのそら、富士葵、電脳少女シロの3人は僕の生活に深く根付いていると言っても良い
朝の目覚まし音は富士葵ちゃんの「はじまりの音」という曲だし通勤中にときのそらちゃんの「ヒロイック・ヒロイン」や「夢色アスタリスク」を聴いている。家に帰ればシロちゃんの動画を観ている
自転車に乗っても自分のプレイリストにはVTuberの曲が入っている
もう辞めたい、逃げたいと思う途中、耳に入る葵ちゃんの曲で頑張らなきゃと自分を鼓舞する
VTuberという存在はもともと現実とは違う世界のキャラクターという体で生まれた
辛い現実とは無縁で、ただただ僕たちを楽しませてくれる存在
まるで遊園地のマスコット
だけれどいつの間にかそのマスコットが僕たちに感謝をする姿を見てしまった
最初は全然見てくれる人もいなくて悩んでいた、それが今やこんなに沢山の人達に見てもらえて、支えてもらっている。これからも皆を楽しませたい、未熟だけれどこれからも応援してください。と
そんな時に僕は得も言えぬ充足感と感動を得た
僕はもらってばかりだと思っていたけれど画面の向こう側では僕らから与えてもらっていると感じていたのだ。
スーパーチャットで沢山のお金を投げ銭する人を見てどこか後ろめたさも感じる
僕にはそんなお金は無いし、グッズや楽曲も限られたものしか買えない
だけれどそれにありがとうと言ってくれる
地下アイドルを応援するファンはこういう気持ちなのだろうかと思う
それが分かったからと言って感謝の言葉だったりの見返りを求めている訳じゃない
ただ見返りを求めているとすれば、健康に活動を続けて、それぞれの目標を目指して欲しいと思う
バーチャルだからって永遠があるとは限らない
VTuberが増えて、色々な新規ベンチャー企業が参入している今、古参、新参問わず様々な問題が発生したりしているのは見たくなくても見えてしまう
のじゃおじは世の中は世知辛いと言った
その通り
世の中は自分の周りはもちろん、誰の周りでも都合よくいかない世知辛いものだ
そんなストレスを抱えて毎日過ごして
また明日と言ってくれる喜びや安心感はこのご時世少ないだろう
僕は今もVTuberに救われている
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