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(ス)プライシング。

『――番線、ドアが閉まります。ご注意下さい』

 アナウンスで漸く僕は目を覚ました。
 太ももに乗せたカメラケースを手に立ち上がろうとしたが、車内の電光掲示板を見て、目的地にはまだ遠いと察して座り直す。

 次は、弥生
 弥生駅。岡山県倉敷市にある、水島臨海鉄道水島本線の駅だ。何故そんな路線に乗っているのかと言えば、夜景を撮影する為。
 自称人呼ばず「夜景コレクター」。半年前から僕は、仕事の休みに夜景を撮影し始めた。
 今回の目的は、岡山県の水島コンビナート――石油や鉄、自動車などを製造する重工業地帯だ。数多くの工場が光を灯して綺麗な夜景を形作るそれは、日本夜景遺産や夜景100選にも選ばれた――と公益財団法人のホームページで見齧った。
 にしても夜景は良い。資本主義を支える現代的な光明は、遠くから見る分には心が洗われる。その光の中に立ち入ってしまうと納期や成果に追われ碌でもないが、外から見る分にはそれらを忘れられる――いや、逃避できる。
 その逃避の背徳感と快感を記憶に留めたくて、僕は夜景をフィルムにも焼き付ける。
 北海道の函館山。
 長崎県の稲佐山。
 兵庫の摩耶山。
 100万ドルとか1000万ドルとかの値が付いたこれら「日本三大夜景」は制覇した――と思ったら、どうやら今は別の夜景が定められているそうだ。よくよく調べると3年に1回変わるとの事。夜景も資本主義競争に組み込まれてしまったらしい。
 そう思った瞬間、僕は「日本三大」を敬遠する様になった。資本主義から逃避する為に夜景に触れているのに、何故態々「日本三大」に拘泥する必要があろうか?

 資本主義は何に対しても値を付ける。
 水島コンビナートにも、資本主義は値段を付けたのだろうか。付けたとしたら、一体何万ドルになるのだろう?

 兎に角。
 次は弥生。その次に栄、常盤、水島(ここで降りてはいけない)と続き、終点の三菱自工前駅。夜景はその地で待っている。
 それを目に、フィルムに、そして心に焼き付けたら倉敷に戻り1泊。帰ったら晩酌と共に夜景の記憶と記録に浸る計画だ。

 電車が減速した。アナウンスが『間もなく、弥…、弥生。……口は左側です』と掠れ気味に告げる。
 ブレーキ音が響き、電車が止まる。
 あと4駅か――と思い、乗り込む客を目にした。

「……っ!?」

 僕は、思わず顔を伏せた。
 当たり前だ。腕が千切れていたり、体が半分欠損していたりする乗客を見て、視線を逸らさない方がおかしい!
 隣でどすっ、と椅子が重みに揺れた。とても隣を見られない。そんな勇気は僕には無い。
 暫くして電車のホーム音が鳴る。

〜♪〜〜♪〜♪〜〜♪

 不安で不穏な発車音。こんな音、どのホームでも聴いたことが無い。
 何なんだこれは。何が起きている。
 余韻を残す様に発車音がフェードアウトすると同時、ホームのアナウンスが響く。

番線、ドアが閉まります。ご注意下さい

 ……今、聞き違えたか?
 49、と。そう言わなかったか? JR新宿駅でも16番線しか存在しないというのに!
 無情にもドアが閉まり、電車が動く音がする。慣性の法則に従って体が揺れ、隣の乗客の体が触れる。
 べちゃ、という音が響いた。絶対に人体から鳴ってはいけない音だった。
 僕は反射的に口を手で覆った。

***

 どうやらこれは、所謂異世界行きの電車だと目を閉じたまま結論付けた。
 掠れたアナウンスの『次…、卯月』が何よりの証拠。弥生三月の次は確かに卯月四月だが、そんな蘊蓄を今開陳されても困る。ちゃんと栄駅に届けてくれ。
 僕は、インターネットでよく見た『きさらぎ駅』と同じ様なものと思う事にした。思ってもどうもならないが、少なくとも心を落ち着けられた。大抵あの手の話は最後に元の世界に戻れる事が多いからだ。即ちまだ希望はある。
 しかし、きさらぎ駅――如月二月、か。
 その言葉に僕の心はずきりと痛む。何故だろう?

 兎も角も、冷静になった僕は次に起こす行動を決めていた。
 卯月駅で降りる。そして線路に沿って来た道を引き返し、倉敷のホテルに帰る。
 僕は一刻も早く日常に戻りたかった。仕事塗れでクソッタレな日常も、今では恋しい。
 車体が揺れる。僕は到着するまで目を瞑っていることにした。どうせ目を開けても血に塗れた床と、欠損した異形しか見えないから。


 数分後、アナウンスが鳴る。
間も……、卯月、…月。口は左……す
 乗り口?
 お出口ではなく、乗り口?
 この電車は一体何なんだろう。気味悪さが増してゆく。
 ……逃げたい。
 日常に戻りたい。一刻も早く!
 或いは悪夢なら早く醒めてくれ!
 減速。停車。ドアが開く。
 僕は立ち上がろうとした。逃げる為に。

 立ち上がれなかった。
 理由は、とても単純。

 周囲の乗客と同じ様に、自分もまた膝から先を欠損していたからだ。

 堪らず絶叫した。

***

 目を覚ます。電車の床が見える。
 いつの間に寝てたのか……と思うと同時。
 自分が乗っているのがあの悪夢の電車ではなく、現実の、水島臨海鉄道水島本線の電車であって欲しいという願いでいっぱいだった。
 顔を上げる。

 残念ながら夢ではなかった。

 変わらず僕の膝から先は消失していたし、目の前には欠損した異形どもが座っていた。電車は駅に止まったままで、異形達は――いや、欠損した人間達は僕を覗き込む様に見ている。
 僕は何故か、その視線に優しさを感じ取った。いきなり絶叫し気絶した人を気遣う様な。
 ……この異様な状況にも関わらず、僕は何故か落ち着いてしまっていた。
 いや、諦めたと言うべきか?
「目が覚めましたね」
 弥生駅で乗った隣の人に声を掛けられる。目を向けると中々な美女だった。但し首はもげていて、両手で抱えられている。
 ……諦めた、とさっき言ったが、違う。
 もう僕は心が麻痺しているらしい。生首を持つ女性を見て平静でいる時点で、人間としての何かが壊れている。
「元気そうで良かったです」
 可愛く微笑む彼女に、僕は小さく「すみません」と言った。
「混乱してしまって、あ、あんな絶叫を」
「仕方ありません。私も最初は戸惑いましたし」
 でも、駅のホームで聴いたんです――女性は続けてくれた。電車のドアが閉まる音が聞こえる。
「この電車には、死人しか乗らないのだと。それを知っておかしくなっちゃった人はいるんですけど、駅員さんが手を触れるとあっという間に大人しくなって」
 貴方もそうなのですよ、と女性。
 成程。僕は既に死人であり、更に感情は調整されてしまった――宛らどこかのディストピア小説の様に。
 道理で、心が麻痺している訳だ。

 ここに来て漸く僕は、如月という言葉でずきりと胸が痛む理由を思い出した。

 ガタガタと車体を揺らし電車が動く。電光掲示板には『次は、皐月』。
 皐月――五月。この列車の停車駅は、どんどん月が進んでいく。
 果たしてこの電車は、一体向かって走っているのだろうか……。

「あ、ほら、綺麗ですよ」
 突然女性が言う。目線の先は窓の外。
 そう言えば、今まで全く外を見てなかった。車窓を眺める。


 地平線を覆い尽くすのでは無いかという、有り得ない程巨大な桜。
 豪快に豪勢に花びらを散らし、景色を桜色に染め上げるその様は、文字通りこの世のものとは思えぬ程美しい。
「そう思いませんか?」
 女性が尋ねてくる。僕は答えた。
「そうですね」
 現代社会から逃れた景色を前にしているのに、僕の口調には、予想通り情感が籠っていなかった。

***

 電車は進む。
 どこまでも進んで、止まる度に新たな死人を乗せ、進む度に新たな景色を見せてくれる。

〜♪〜〜♪〜♪〜〜♪

 皐月。桜色の風景と打って変わって若い緑に満ちた爽やかな空間。小鳥が枝に留まり、微風を気持ちよさそうに浴びている。爽やかで良いですね、心が軽くなります――と女性は呟く。

〜♪〜〜♪〜♪〜〜♪

 水無月。田畑の風景。太陽光をいっぱいに浴びて元気よく穀物の葉が育つのが見える。げこげこ、と蛙もあちこち飛んでは水浴びをしている。こんな景色見た事無い、と女性。都会育ちなのだろうか。

〜♪〜〜♪〜♪〜〜♪

 文月。数多くの作物や、夏の風物詩の虫が大量に飛んでいた。虫が苦手なので目を瞑ってしまってよく覚えてない。うわあ、という女性の感嘆とも悲鳴ともつかぬ声が頭に残っている。

〜♪〜〜♪〜♪〜〜♪

 葉月。車内は乗客でいっぱいになり、風景もほぼ見えなくなっていたので、女性と会話をし始めた。が、二言三言話すくらいしか出来ず、自分の会話能力の低さに今更ながら絶望するのだった。

 長月。神無月。電車は進む。その度に死人が入って車内は随分窮屈だ。しかし乗り口は何故か入る事はできても出る事ができない。お蔭で一人も電車から溢れる事は無かった。

***

「そのカメラ、何を撮ってるんですか?」
 霜月駅を発って、『次は、師走』という表示が光る頃、女性の生首が尋ねた。
「夜景です」僕は答えた。「色んな場所の夜景を」
「是非、見たいです」
 目を輝かす女性のお願いを断る訳にもいかないが、生憎見せられなかった。このご時世に僕はフィルムカメラに拘っていたからだ。
「すみません、現像写真があれば良かったのですが……」
「……大丈夫です。仕方ありません」
 女性は少し寂しそうな顔をするが、直ぐに微笑みに戻る。
「生前、次はどの夜景を撮ろうとしていたのですか?」
「岡山県の水島コンビナートという所で」
「どうしてまたそんな所へ?」
 色々思いを語っても良かったが、一言で止める事にした。
 思いをぶち撒けても、碌な事どころか何にもならないと自身がよく知っている。
「……仕事が辛くて、気晴らしに」
「そうですか」
 でも、と女性が続けて訊く。
「それなら、何故死んでしまわれたのですか。気晴らしに折角出られたのに」
「……分かりません」
 僕は思い出す。死の直前の記憶を。
 如月――二月。仕事の全てが嫌になり、認可される筈もない有休申請を提出したまま岡山県に失踪したあの月。
 カメラを抱えて電車を待っていた時、会社からの電話通知を受けながら、ふと思ってしまった。

 このまま飛び込めば、僕は逃れられる。
 資本主義の塊である会社から、文字通り一生。

 線路へ飛び込むのは、衝動に後押しされるからだ。
 より正確には、その衝動を死ぬ勇気と綯交ぜにして、背中を押される心持ちになるからだ。経験者たる僕はそう思う。
 兎も角も僕は人生の春青春も碌に経験せず、夏と秋社会人生活の大半をすっ飛ばし、冬の終わりへ辿り着いてしまった。
 宛ら、月の駅と四季の景色を容赦ない速度で通過してゆく、この列車の様に。

 もしかしたら、この列車はそういう死人を運んでいるのかもしれない。
 なら、隣で自身の生首を抱えた女性もまた――。

「分からないですよね」
 女性が応答してくれた。
「私もです。確かに死んだのですが、どうしてこんな些細な事で死ぬんだろう、と思ったものです」
 自虐する様に微笑む。生首に気を取られていたが、よく見れば首を抱える腕には痣が幾つも浮き上がっている。
「でも、そういうものではないでしょうか。仕事が嫌だ。勉強が嫌だ。恋人に振られた。お金がない。……親から逃げたい。どんな理由でも、たとえそれが甚大でも些細でも、それがその人にとっては死ぬ理由になるのです」
 僕は、資本主義から逃げる為に。
 彼女は、「些細な事」を原因に。
 そこに差異は作れない。比較など出来やしない。
「……って、死んだ人が言っても言い訳めいてますけどね」
 彼女は淋しそうに笑う。そんな事ないと言う資格は、残念ながら僕にもない。
「この電車、何処行きなんでしょうか」
 女性が憂い顔で呟く。僕はその行間を読んでこう言った。
「きっと、閻魔様なら情状酌量してくれますよ」

 僕達を評価して――資本主義的な物言いでは価値化してくれる。
 地獄にも資本主義は蔓延しているだろうか。だとしたら、僕達の人生は何ドルだったのか?
 見切りをつけ自身で命を絶った人生は、やはり値切られた後の様に安いのだろうか?

「だと、良いのですけれど」
 会話はそれきりだった。師走駅で多くの人が入り込み、最早会話どころでなくなってしまったからだった。

***

 乗車率400%以上の電車に乗って、僕達は終わりへ向かう。
 師走駅も発ち、いよいよ次は終点。
 天国か、地獄か。
 アナウンスが流れる。
 調整された感情の中に、今更僅かながらの期待を抱きながら、僕は耳を傾けた。


お待たせしました。次は終点――

***


終。




※当小説は、下記の企画への参加作品です。ご興味ございます方はぜひ!

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