㉘完璧求めて何が悪い
先日X(旧Twitter)でこのような投稿を目にした。
要約すると、吹奏楽の練習で使用されるメトロノームやハーモニーディレクターについての話
コンクールに打ち込んでいたころは器具を使って音程やリズムを合わせていたけれど、コンクールから離れるとそんなことは無くなった。
コンクールではとにかく音程とリズムばかりで表現については見てもらえない。
楽器の音程なんて吹き込めば変わるものだし、周りに合わせることを気を付ければ良い。
そういう意味ではコンクールと普通の吹奏楽では、求められる違うものではないのか。
といったところ。
まあわからんでもない。
学生時代ハーモニーディレクターを使った練習はしていたけれど、正直和音も何も分からない人間だったので機械音を聞くより周りを聞いて合わせるほうが楽だった。
ただこの投稿に対する反応を見て違和感を覚えた。
「オケでハーモニーとか言われてモヤッとした」
「ハーモニーの感覚は機械じゃなくて自力で鍛えるもんじゃないの」
「感動よりも音程やリズムを揃えた演奏のほうが評価される」
(文面は変えています)
なんか違くないか?
オケなら音程や和音あってなくてもいいのか?
文明の利器を使ってはいけないのか?
ごちゃっとしたもので感動できるのか?
なんか違くない?
スポーツだって上達のためにはずっとランニングするんじゃなくてマシントレーニングするだろう
オケだろうが吹奏楽だろうがソロだろうが音程は合わせるだろう
自分らで合わせられるならまだしも、個人でレベルの差が特に出る学生バンドにとって、練習を効率的に進めるためにハーモニーディレクターやメトロノームという分かりやすくするための器具を使うのは良いと思う。
何故コンクールでリズムやハーモニーが評価されるのか
音楽の構成要素は
・リズム
・メロディー
・ハーモニー
と言われている。
音楽は芸術分野であり、そのジャンルは多く分かれている。
全団体同じ曲のみで審査するならまだしも、自由曲をどういう基準で審査するのかと言えば、音楽としての構成が整っているかは大前提であるといえる。
フィギュアスケートでも、難易度の高い技に挑戦しても姿勢が良くなければ減点されたりするだろう。
それと一緒だと思う。
感動できるもので審査しても良いなら、如何に審査員のご機嫌を取るかを競う媚売り大会になるけど、それでも良いんだろうか
完璧を求めること、またその為に器具を使うことは決して悪ではない。
感動できる音楽を作りたいなら、土台がきちんと整っていなければそもそも聴いてもらえないと思う。
結局やれることはどんなことだってやったほうがいいのだ。
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