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熱量とレビューと言い訳と

この記事はただの長いツイートです。解決策やTipsやプロセスが書かれているわけではない。

チームでなにかを作ってると、お互いにレビューすることがあると思う。
ちなみに僕はサービス開発でアプリやWebなどのプラットフォームの中でデザイナーをしている。
レビューっていうか「アドバイス」だったり「議論」だったりと呼ぶかもしれないんだけど、とりあえずそういうコミュニケーション is ある。

自分がレビューを多くする立場になって、身にしみて感じることがある。
当然のような話ではあるんだけど、

他人へのレビューはみんな厳しく客観的にできるが、自分へのレビューはどうも素直に受け止めきれない人が多い。

自分もそう。
まぁ当然というか?普通によくある話。

ウチのような大規模なサービス開発においては、開発チーム内で複数のラインがあっていろんなプロジェクトが走っている状態で、
だいたい一人当たり一つのプロジェクトに属している。

みんなそれぞれ、自分が属してない他のプロジェクトで作った機能やUIへの意見を言う機会があるんだが、そういう時には「これって使いづらくない?こうしたらもっとよくなるんじゃないの?」という話が出てくる。
でもそのプロジェクトに属してる当事者は、

「いやー、そこは散々議論してこう落ち着いたんだけどねぇ、、」

「んー、そこは仕方ない気が。。。」

みたいな返答になりがち。
そんな返答をしてる人も、いざ他のプロジェクトへレビューする時には「体験がよくないかも!もっとよくなると思う!」っていうポジティブな改善意見が出てくる。
みんなそれぞれ、広い意味での「デザイン」に対する意見、マインド、ポリシーを持ってるのに、いざ自分が対象のことになると言い訳をしたくなる。色んな事実や制約を盾にとって。


繰り返すが、自分もそう。
当事者ってやっぱそれなりに考えてるものね。考えた結果に対して
「もっとよくなる!」「使いづらいかも!」「こっちよりあっちのデザインの方がいい」
みたいな意見がいろいろ出てくると「ちょっ、、、」という気持ちになるのはわかる。
少し角度変えて意見言う側を見てみると、「伝え方が9割」という話もあるんだろうけど。

それが、最近自分はレビューされる側よりする側に立つ方が明らかに増えてきて、
そういう意味で自分の立ち振る舞いや考え方や、みんなの思考について客観視することが多くなった。

客観視してる場合じゃないよ、っていう自分へのツッコミというか悩みもあるにはあるしうーんどうしたものか、みたいな


デザイナーに限らずなにかを作ってる人ってこだわりぬいてるはずなのにどこかこだわりぬけてない・気づけてない部分ってありそう。
当たり前のように熱量を持ってこだわりぬいていたい。もちろん時間とコストの制約はあるんだけども、その制約の中で限界まで情熱を注ぎ込める人やチームが強いのもそりゃそうやね、って話。
そして規模が大きくなって人が増えれば増えるほど当事者意識が薄れるかもしれない。
そもそも1つのサービス(会社)なのに、その中で細分化されたプロジェクトへの帰属意識でとどまってしまうケースもある。気がする。
おそらく、ここらへんに対してはリーダーとなる人たちが意識して旗振りをしないといけないんだと気付くのは気付くが、果たしてどうやって動こうか。という難しさ。

熱量ってみんな持ってるんだけど、熱量を成果物に注ぎ込めずにこぼれてしまうことが多いんだと思う。
お互いにこぼれてしまった熱量を拾ってうまいことヨイショッ!とするようなチームになっていきたい。

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