見出し画像

神が人間をつくったと偉ぶるなら、「それがどうした」と言ってやる

昨年末から週刊文春によるダウンタウン松本人志性加害疑惑報道が加熱している。寧ろメディアと世間はこぞって松本とその周囲を叩くのにかなり必死だ。真実は当事者や関係者しかわからない話なので、白か黒かを一般人である我々が判断するのは極めて難しい問題である。しかしながら旧ジャニーズ問題同様に、特殊な事情を当たり前のように孕んでいる芸能の世界ではこういったことが実は秘密裏に行われていたのかもしれない。少なからず我々レベルでも合コンや男女が入り混じった飲み会などは頻繁に行われているし、特に私のような長年惰性を繰り返していた輩は世間でいう合コンからは少し乖離したような飲み会などを学生時代などに行っていたこともあった。私でもそんな20年程前のことを「今の時代だったら絶対アウトだけど〜笑笑」と思う節もあるが、そんな「今の時代だったら~」という言い分は今の時代は通用しないのかもしれない。見る限り松本人志の今を取り巻く問題はそういった話が殆どだ。

というか2022年の暮れごろから始まった旧ジャニーズに係る騒動も然りだ。国内では性加害等に関する告発が以前より増加してきたように思える。松本と同時期に大物歌手Nにも疑惑が挙がっていたが、Nなんて片っ端から有名なやつの名前を出していけば直ぐに辿り着く。絶対に野口五郎ではない。余談だが野口五郎は生粋のギタリストであり、フュージョンの選曲が渋い。

と、以前から#MeToo運動のように世界各国ではこのような告発は行われていて、逆に日本が遅いくらいだったのかもしれないが、芸能界問わずスポーツ界などからもこの手の声が多く挙がるようになった。このように被害者が泣き寝入りせず声を上げることが出来る環境が備わったことは良い傾向だと思うが、それに便乗して部数稼ぎをする週刊文春などの糞雑誌が世の中の正義の基準になりつつあるのは非常に不快だ。まあその辺などについては各ニュースやワイドショーのコメンテーターなどが様々知識人の如く意見を述べ、色んな論争をしてるのでそちらを見て頂ければよい。今回の本題は、あの「松本人志」という人が居なくなってしまったことである。

お笑いに興味がない人や、そもそも松本人志本人の芸風が嫌いな人間からしたらマジでどうでも良い話なのかもしれないが、小学生のころからテレビで彼を見て来た世代としては非常にショッキングな出来事だ。少なくとも30年は王座に君臨していて、私のアイデンティティの形成に少なからず影響を及ぼした人だったと思う。ビートたけしと松本人志は別格だ。それは私だけではなく、私と同世代なら多くの人間がそう思っているに違いない。私より少し年上の世代はもっと顕著で、「お笑い=松本人志」と考えている人も少なくないだろう。小学生の頃から今に至るまで、常に松本人志は我々をワクワクさせてくれた。またひとつ私の中にあった「あたりまえ」が消えていくことを悲しく感じるのだが、最も「消えない」だろうと思っていたものが消えてしまうと悲しさより驚きの方が勝ることにも気付いたのだった。

これまでの松本人志の功績や歴史については、毎度毎度アレだが他の人の作ったまとめサイトみたいなものを見て頂いた方が早い。今やお笑い番組で定番となっていることが松本起因のものだったり、そもそも今のお笑いの風潮自体が松本の築いてきたものだったりする。そもそも養成所を卒業してスターダムに上がっていくというお笑い芸人のよくあるストーリーを最初に実践したのが大阪NSC一期生のダウンタウンだ。そして伝統的なお笑い界の風習を壊して実験的な取り組みを重ねていき、「笑い」の本質を追及し、お笑いのレベルを底上げしたのが松本人志である。また、現存する「ストイックに笑いを追求する様がカッコいい」みたいな空気を生み出した。かつての著書「遺書」はまさに「我が闘争」ではないが、非常に力強い論調で自身の意見や主張を述べていて、その頃の松本に影響された芸人はまず芸風よりもその姿勢を模倣したとよく言われている。90年代にデビューし今前線で活躍している芸人達も当時は松本の影響でかなりスカした感じでカッコつけて突っ張っていたらしいのだが、結局何年経っても松本本人を超えるカリスマが誕生することがなかったと思う。

松本人志の笑いの本質は、普遍的な部分を違う目線で切り取る所だと私は常々思っていた。所謂「松本信者」だった友人が学生時代に居たのだが、当時別の友人が「父親が釣りにいってデカい魚を釣った」と写真を見せて来たことがあった。その写真を見て信者の友人が「お前の父さん股間がモッコリしているね」と言ってその場で若干の笑いが起こったのだが、それが松本イズムだったりする。千原ジュニアが昔「咲いている花を見て綺麗だと言うのではなく、花弁が何枚ある等と言うのが芸人」と何らかの媒体で言っていたが、つまりそういう目の付け所が松本やジュニアが持つセンスの笑いなのだろう。その写真を見て、釣りに関するエピソードを面白可笑しく言うのがビートたけしの笑いで、魚に関する知識を面白可笑しく話すのがタモリの笑い、「それより俺の話聞いて」というのが明石家さんまの笑いで、その写真の内容に対して少し皮肉を込めたことを言うのが爆笑問題太田の笑い、その写真を丸めて口の中に入れるのがとんねるずの笑いだったりする。先に述べた松本やジュニアの考え方が現代の芸人の中で深く浸透していて、いかに一味違う目線で物を見るかが重要視されているような気がするが、もしかしたら今の時代は「その写真を見てそいつの親がデカい魚を釣った喜びを共有する」ようなウッチャンナンチャン的な笑いが一番スマートなのかもしれない。

「その写真を持ってきた奴自身をネタにする」というのも松本が拡げた笑い、すなわち「イジリ」というやつだ。「イジリ」みたいな文化は当然昔からあったのだが、そのノリを一般に普及したのは明らかに90年代のダウンタウンだった。当時私は小学生だったが、よく学校の先生や親から「ごっつええ感じは観るな」「ダウンタウンの番組は観るな」と言われたものである。実際にああいった「イジリ」は素人がやると普通にイジメになったりする。高校生の頃、硬式野球部の五月蝿い一部の奴が素人のくせにお笑いを知ったふりして「イジリ」を真面目な部員達にやっていたが、正直不快で素人のイジリ程醜いものはないと当時思った記憶がある。この件に関してはダウンタウンと何度も共演していた坂本龍一が生前「ダウンタウン理論」として語っていた。

結局、子どもたちはみんなダウンタウンをやっている。だって、いまのいじめとか少年犯罪のパターンって、ほんとダウンタウンそのままじゃない? 松本人志はあのすごい才能で、そういう社会を啓示したんだよ。

坂本龍一 天童荒太『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』

昨年教授が逝去された際に少し話題となっていたのだが、まあ言いたいこともわかる。しかし、お笑い芸人はいわば笑いの道のプロフェッショナルで、プロがプロをイジることで「イジリ芸」が成立する。飽和したお笑い業界の中でも松本人志のイジリ芸は一流で、一見一方的に攻撃しているように見えるが相手側をそこまで傷つけずに相手からのレスポンスを引き立たせる均衡の保たれた芸だと私は未だに思っている。その緊張感をわかっていないズブの素人「イジリはおいしい」とか言いながら一般的な生活の上で「イジリ」を用いる世界になったのも、松本人志の悪い意味での功績だったのかもしれない。今でこそインフルエンサーとかいうクソワードの職を生業とした確信犯が居るが、発信源の媒体が限られていた時代は今よりも本当に伝えたいことが自分の意図とは違って世の中に伝わっていたのかもしれない。

それこそ今回の件で思ったのは、テレビに出ずともSNSなどを介してインフルエンサーとやらになれる時代に於いて、松本人志のSNSの使い方が不器用過ぎたという点だ。「遊び方がケチくさい」などとビートたけしや上沼恵美子のような大御所から言われていたが、松本がケチなのは昔から言われていてネタにされている話だった。

だからこそ少し今回の件もネタにして欲しかったのだが、一報から活動休止までのXでの流れが非常にマズかったというか、若干カリスマに翳りを感じられた。ネタにしてしまうか、前頁の舐達麻のBADSAIKUSHではないが沈黙を貫いて何かで意思表示するか、とにかく今までの彼なら何か出来たはずだ。著書「遺書」にあるように人間を作った神にも動じず笑いを創っていると自負してきた笑いのカリスマがこの騒動抜きに少し時代から取り残されていた感じがしたことに何だか物悲しさを感じてしまった。

身をかわして1ヶ月程経ったが、残酷なことにそれほど世の中が変わった印象はない。寧ろこれからそれが始まるのかもしれないが、世の中の大半の人にとって困ることではないのだろう。あくまで性加害という非常にナイーヴな話なので胸を張って戻ってきて欲しいとは言えないのだが、私自身の歴史の中で常に見てきた松本人志という人間が急にメディアから消えるのは、何か自分も否定されたような気がして悲しく感じてしまうのだった。個人的にお笑い芸人で最も影響を受けたビートたけしが先日この件の今後に関する見解を述べていた。

阿川佐和子「松本人志さんは、これでまた立ち直る可能性は?」

ビートたけし「それは運だね。やっぱり時代が、松本人志を…その立ち上がる松本人志を求めているかどうかだよ。その判断が一番…求めていないなと思ったら違う方に行くし。求めているなと思ったら、やればいいんだけど。」

「ビートたけしのTVタックル」2024年1月21日放送より

不利な状況を納得の出来る形で覆すことが出来るとすれば、それは時代が求めていたということになるだろう。真実も不透明で、世間評も厳しい故に今は大きな声で擁護もなかなかしにくい状況ではあるが、また昔のようにワクワクさせてくれることを期待している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?