それから

倅が産まれて早くも9ヶ月が経過した。
40近い年齢で第一子を授かったわけだが、毎日が新しいことへのチャレンジの連続で、なかなか昨年以前の自分自身を中心とした生活に戻る気配はない。

30余年を自由気ままに生きてきた自分にとって、「あと何かやり残したことがあるか」と考えれば、今目の前にいるこの子を健康なまま育てることが、今世最後の目標なのかもしれない。などと言えば少し大袈裟で、「いやもっと他にあるだろ」と思うこともあるのだが、例えば家を買う、車を買う、といった行為も全ては子供の為の付随事項だと考えるようになった。

しかしこの「子供の為の付随事項」が最近酷い。寧ろ倅が産まれる数ヶ月前から、この理由を全面に出して購買欲を満たしてきたような気がする。
例えば昨年の春頃、私は黒色のライダースジャケットが欲しくなって買ってしまった。

当然ながら中古であるし、ルイスレザーのような高価なものではないが、レプリカながら5万程度だった記憶。これから出産を控えた妻を尻目に5万の買い物をするのは少し後ろめたいと思っていた。しかし昨年の春は天気が良かった。革を身に纏って春の街を歩くには、既存のサイクロンタイプではその欲は満たされず、寧ろ太ってサイズが合わず、四十肩も相まってワンサイズ上のものが欲しかった。

葛藤している間に桜が咲き、妻から子の性別を告げられた。まさかの男だった。革のライダースは長く着ることが出来る。例えば倅が物心ついたとき、おそらく自分の子なら革を身に纏い、爆音でロックンロールを聴くに違いない───。
正直ロックンロールに他人の説得は要らない。食う寝る遊ぶが真髄であり、誰の許可もいらない。とは言えどきっちり営業所止めにして受け取り、万全の体制を整えたつもりだったが、まあ明らかに黒光りして重量感のある違和感ありまくりの衣類がクローゼットに急にあれば、狭い賃貸に2人で住んでればおのずと気づくものである。当然ながらに突っ込まれ、そこで思いついた「ああ、息子が将来着れるように買った」という言葉。

いつも思うが、私の妻はいい奴である。
普通に考えて息子が大きくなってライダースジャケットを着るか着ないかは現段階では決定事項でない。寧ろライダースジャケットがクソ程イケているかもわからないというか、完全な個人的趣向である。それにも関わらず深く追求せず、その件に関してはそこで終了となった辺り、よく出来た人だと思う。まあ今考えてみれば残りあと僅かで生を授かることで、旦那のことなんてどうでもよかったのかもしれない。

そして、同じ理由で先月新しいベースとベースアンプを購入した。

当然ながら、これも将来倅が弾くかもしれないという前提である。大体自分がそうであったように、子供は一度親の真似をする。友人の子供界隈もだいたい親の趣向に沿って、スポーツなどを嗜む。当然強制はしない。弾きたければ弾けばいい。但し、その僅かな確率のために父は働き、欲しいものを買う。それは全てお前の為である。


というわけで時間をなかなか取れず、曲作りなどが全く進んでいない昨今、機材関係も埃に塗れ、生命線であるパソコンも1年近く起動していないのだが、少し空いた時間にでも随筆を綴ることとしたい。飽きなきゃね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?