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3/15の記録

訳あっていま地方のホテルに一人で泊まってる。
アパホテルに泊まるのなんて何年ぶりだろうか。何年か前は当たり前のようにビジネスホテルに泊まっていたツアー中を思い出すな。


父の容体が悪くて、入院したり退院したり、抗がん剤治療をしたりする日々がここ数年続いていたのだけれど、LINEにしても電話にしても本人はさほど体調が悪いような素振りは見せなかったので大丈夫なんだと思い込んでいて。
先日急に見たことのない電話番号から電話がかかってきて、寝起きで嫌な予感がするなと思いながら電話に出たら病院からの電話だった。外来の予約があったのにお父さんが来ない、電話をしても出ない、娘さんの方で連絡を取る手立てはないか?とのことだった。
電話を切って急いで父に電話をかけると、電話に出たものの「病院の人と電話してるから」と切られてしまい、そこから音沙汰なし。
病院に電話をかけ直すと「病院へ行くための準備をしたいから、夕方にいく。歩けないから救急車を呼んでいく」と父が言ったようで、病院に来たらご連絡しますねとのことだった。
それが昼過ぎのことで、19:00を過ぎても病院からも父からも連絡がなくソワソワしていたところで病院からの電話。
「お父さんがいらっしゃらないんですよね。」
電話の相手はちょっと無愛想な感じの男性のお医者さん。
「病状をご家族の方に伝えたほうがいいって結構前からご本人にはお話ししてたんですけどね、そう言うのはいいっておっしゃっててね。実際体調は結構悪くて、片方の肺がダメになってるから、正直そう長くはないんです。」
おおおお。体調悪いんだろうな、くらいにしか思っていなかったところでまさかの先生の発言。もうこれは聞くしかない。
『実際、余命ってあとどれくらいなんですかね?』
「ご本人の体力的にも無理な治療はしない方がいいと思っていて、肺がんが結構転移してるので、多少前後はあるとは思いますけど1ヶ月くらいですかね。とはいえ、正直いつ何が起きてもおかしくないです。」
おおおおおおおおお…思ったよりも短いし、なんならいつ死んでもおかしくないみたいな感じでショックがでかい。泣きそう。と言うよりも、もう泣いてた。
「とりあえず病院に来てもらわないことにはどうにもならないのでね、娘さんから連絡していただけますか?」
そこからお父さんに電話をしてもずっと直留守。一人暮らしの父の様子を見に行ける距離に住んでるような知人もいないので、もし部屋の中で倒れてたらどうしようと言う不安でいっぱいになりながらも、大家さんの連絡先をなんとか入手して、家を見に行ってもらえることに。

「うっすらと声がするんですけど、勝手に鍵を開けてご本人に何言われるかわからないので…」
と大家さん。鍵を開けることに関して色々とトラブルがあるんだろうなと言うのは察することはできるものの、こちらとしても父の一大事なので「そこをなんとか」と言う感じで救急車を読んでもらいことなきを得まして、そんなこんなで父入院。
これが1週間前の出来事。


「こんなタイミングで会いに行っても何もできないしな」
と思いながら最初は数日後に顔を見に行こうと思っていたけれど、結局いてたってもいられず翌日弾丸で父の顔を見に新幹線に揺られ片道3時間をかけて会いに。家を出る時、母が「ちょっと!」って私を引き留めて、ギュッと抱きしめてくれて二人で思わず泣いた。「大丈夫だからね。気をつけて行っておいで。」と言ってくれて、涙が止まらなかった。ちゃんと帰る家があって、待っててくれる人がいるって本当に幸せなことだと思った。
父と母は、完全に父が理由で別れているはずだし、なぜか離婚した後も母方の祖父に父が借金していたりとなんかもう色々あって、私は父と母の二人揃った姿は2回しか見たことがなくて、それは母方の祖母のお葬式の時と、母方の祖父が亡くなってからお線香を上げにきた、その2回だけ。
そんなこともあって、そもそも私が母と今暮らせているのも不思議な話だったりはするのだけど、母は「お父さんはあんたのことちゃんと育ててくれたから。」と言ってくれるので、女の人の強さをちょっと感じる。


病院に着いたものの、こんなご時世もあってそもそも病院自体が面会禁止となっていて、そんな中先生から面会を許可されていたので、残された時間の短さを感じるし、許可がおりて本当によかったと思った。部屋に着くまでにめっちゃ時間がかかって(病院の人に聞いても割と冷たく対応されて、「こっちは既にメンタルやられとるんだぞ!」と泣きそうだった)ようやくたどり着いた部屋はまさかの名前の割り振りが書かれていない。全部カーテンは締まっている…え、お父さんどこ?
ロシアンルーレット的に「ここかな…?」とカーテンの中を覗いて、違うおじさんが寝ている×3を経て、父のベッドを発見する。
カーテンを開けた瞬間、きょとんとした顔の父。
「何しに来たん」
…お前に会いに来たんだよ!と叫びたい気持ちを堪えつつ、とにかくお父さんが思ったよりも元気そうで何よりで。

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余談ですがお父さんが左手の薬指にしてる指輪は私が中学生の頃に付き合ってた男の子から誕生日にもらった指輪で(当時ぶかぶかで親指にはめていた記憶)、なぜ父がこれをしているのかはいまだに不明です。なんかずっとこれしてるんだよな…。


その日は2時間病院に滞在して、東京に戻った。
「泊まっていかないんか?」
と言われたから「またすぐ来るね」と返事して帰った。帰る時、本当に辛かった。狭いベッドに苦しそうに寝ている父を置いて私はまた東京に帰るんだなと思うと、帰りのタクシーでは涙が止まらなかったし、新幹線に乗ってからもちょっと泣いた。

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東京に戻ったら仕事があったから、自分の機嫌をちゃんと取ろうと、アイスコーヒーとカッチカチのうまいアイスを食べて帰った。


話は長くなってしまったけれど、父はそんな感じで今入院しています。先生には「多分もう退院はできないと思う」と言われているのですが、まぁ奇跡的に生き続けてくれることもあるかもしれないので、一緒にいられる時間はなるべく作りたいなと思って今日も私は新幹線に揺られて来て今に至るわけです。

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お父さんの手なんて握ったことなかったけど、ちゃんとおじいちゃんの手になってて私もちゃんと大人になったんだと思った。


私は生まれてから数ヶ月で両親が離婚し、父に(半ば連れ去るような形で)引き取られ、途中経済的な理由で児童相談所や養護施設や里親にお世話になったりもしながら19歳まで父子家庭で育ってきました。
19歳の時も、経済的な理由で父とは一緒に暮らせなくなり、生まれて初めて母と一緒に暮らすようになって。私の基盤は父との生活で作られたもので、父という存在がとても大きくて。
なんでもっと大事にしてあげられなかったのかとか、もっと会いに行ってあげられなかったのかとか、悔いてもどうしようもないことを、こういう時人は考えて落ち込むものなんだなとここ最近は痛感しています。
19歳で離れて暮らすようになってから、ずっと一人暮らしだった父。寂しかったんじゃないか、なんでそれに気付いてあげられなかったんだろう、と漏らしたときに友人が「お父さんは寂しく生きてたわけじゃないし、本人もそんなことは思ってないと思うよ」と言ってくれて、その言葉で少し救われたような気もしているのです。



こんなことを長々書こうと思ったのは、自分の記録を残しておきたいと思ったからです。遅かれ早かれ、父はこの世を去ります。もちろん私も。
今のところ順番は父の方が先だと思うけれど、もしかしたら明日事故にあって私が先にこの世を去る可能性だってあります。私と父しか知らないこと、私しか知らないことがあって、それをこうして文字にすることで残しておける。文字にすることで気持ちを吐き出せると少し楽にもなる。だから文字にしよう、そう思いました。
父との生活は本当に色々なことを経験させてもらったな〜って感じの「エピソード」がいっぱいあるから、そういうのも文字にして消化していこうと思う。


本日の特記事項
・寝過ごさないように新幹線でアラームかけてちゃんと乗り換えしたのに、在来線乗り間違えて全然知らないところにたどり着く

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・父用にGUで買ったパジャマ、長袖だと思ったら五分袖だったから持って来れなかった(本当私そういうとこある…)
そして結局アメニティを契約したからそもそもいらなかった…。

・父の家に泊まる予定だったので父から鍵を借りて1年ぶりに父の家へ。布団はぺしゃんこでカビ臭くて「お父さんこんな環境で寝てたの…」と思うよりも前に「私はここでは寝れないかもしれない…」と思い、宿泊地をネットで探す非情な娘。
父の価値観と私の価値観は違う。もしかしたら父はあの家がすごく好きだったかもしれないもんな、って思って、洗濯機に溜まっていた洗濯物を洗濯して、軽く片付けて、近くのホテルへ移動。

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疲れたしお腹すいたしでしっかりご飯を食べる。こんな時だからちゃんとお茶もペットボトルじゃなくてグラスに入れて飲む。
父の部屋にあった、昔飼ってた犬に似てるキーホルダー(薄汚れている)を持ってきたので、それと一緒にご飯。お父さんは全然ご飯が食べられないらしくて、それを聞いてたから「ふりかけとかあれば食べれるのかな」って思って何種類か買ってきたけど「いらない」と言われてしまって。「お父さんはご飯食べれないのに私はこんなにお腹すくんだな…はぁ。」みたいな意味不明なセンチメンタルっぷりを発揮してしまったので「美味しい!」とあえて声に出して食べたし、あえて独り言をめっちゃいいながら過ごす。


最近本当に眠れなくて、昨日も全然眠れなかったんだけど、今日はいつもと違う環境でなんかぐっすり眠れそうな気がしています。
明日は午前中に父の顔を見て東京に戻ります。本当は明後日までいようと思ってたけど、仕事しながらバランスとらないとメンタルが持たないなと判断しました。自分のちょうどいいバランスを探しながら、父との時間を大事にしていこうと思います。


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カメラ買ってよかったな〜って思った。

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