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アメリカ人作曲家による最もアメリカらしいクラシック音楽(1)

日本同様、アメリカ合衆国もクラシック音楽が本格的に導入されるのは遅かった。
それでも、日本最古の現存するオーケストラは1925年設立の現・NHK交響楽団で、まだ100年経っていないが、アメリカは、ウィーン・フィルと同じ1842年設立のニューヨーク・フィルが最古であり、180年の歴史を持つ。

その後も、オーケストラは各州に出来ていき、もともと移民の国であるアメリカでは、国籍や派閥とは関係なく、才能ある演奏者や指揮者がその歴史を支えてきた。

しかし、アメリカ人作曲家は?というと、国際的に認められる人物はなかなか現れなかった。

例えば、現在ではアメリカを代表する作曲家の一人として挙げられるチャールズ・アイブズは、作曲家では生活が成り立たないとして、作曲は飽くまでも趣味で、本職は保険会社の経営者(副社長)だった。

最初の成功者はジョージ・ガーシュウィンで、現在でも《ラプソディー・イン・ブルー》や《パリのアメリカ人》などの管弦楽曲で親しまれている。

一方、純粋なクラシック音楽(というのがあればだが)の作曲家の登場は、1930年代まで待たねばならなかった。

世界恐慌が沈静化した1930年代中盤以降、ラジオの普及とともに、アメリカ人作曲家の作品が次第に普及していった。

その中でも、ウィリアム・シューマンが、アメリカ音楽祭のために1935年にセルゲイ・クーセヴィツキーから依頼を受けて作曲したした演奏会用序曲《アメリカ祝典序曲》(American Festival Overture)は、もっともアメリカらしいクラシック音楽だと思う。初演は1939年10月6日にクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団。

W・シューマンの項つづく。

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