HSPの主張
すっかり忘れていた。というか、勝手にもう治った(?)もんだと思って存在が薄れかけていたが、そういえば私HSPだった。
ここ数年こそ「繊細さん」なんて呼ばれたりして、SNSやら本やらで情報が出回っているが、自分がHSPだと思うようになったのはもう4,5年前のことで、キッカケとかはよく覚えてない。気がついたらnoteの自己紹介記事でも、自分のことをHSPだと紹介していた。
「あー、自分HSPだわ」と感じる瞬間、あるよね
例えば、
他の人が何かにイラついていたり、不機嫌なのを見るとちょっと萎縮しちゃったり。その場からそっと離脱。
臭いや光に敏感に反応しちゃったり、不快に感じたり。
自分が何かしている過程を見られていると緊張で集中できなくなったり。それが仕事だろうと、趣味でダンスの振り付けを考えている時でも。
暴力シーンやホラーが苦手で、特に精神にくるタイプのものを見ているとこっちまで精神やられそうだったり。
子どもの泣き声がどうしても苦手だったり。
自分がいっぱいいっぱいの時にタスクが降ってくると「もーう無理!!私のHPは限界よ!!!」と言わんばかりに泣きそうになったり。
些細な変化や行動から深読みしすぎて、1人で色々と悶々と考え込んでしまったり。そして感情が溢れ出してしまうと涙になって消化される。でも寝て起きると意外とスッキリしている。
言いたいことがあってもなかなか言い出せなくて、いざ自分の感情を話し出そうとすると涙が出てきちゃったり。
強い言葉が苦手だったり。かと思えば優しい言葉とか、寄り添ってくれている言葉をかけられるとそれはそれで涙が流れ出してしまったり。
誰かがくしゃみをするとすっごくビビったり。小さい時は父親が家でくしゃみをするたびに、びっくりして泣いていた。
いや泣きすぎやろ。
もちろん個人差はあるけど、こんな感じで割と日々の刺激の中、生きるのを頑張っている。
良いこともある
でも、意外とこの特性はキライじゃなくて、むしろ個性だと思ってるし良いこともあるんだよな。
例えば、
些細なことで舞い上がっちゃったり。
共感性が高いので、周りの感情をすぐに察知できたり。
小さな変化に気がつきやすかったり。
感情を着火剤に創作活動ができたり。
小さな幸せが多い気もする。
良くも悪くも、自他関係なく感情の機微を感じ取るアンテナが立っている。だから些細なことでも一喜一憂したり、幸せを感じたり、かと思えば虚しくなったり。他の人の感情も勝手に感じ取ってしまったり。そういうことが起こっているらしい。
なんて長々とHSPについて語ってきたが、私は厳密にはHSPではないことが判明した。久しぶりに診断し直してみたら、出てきた結果はHSEだった。
HSE?
HSPにも色々あるのね。
HSEは、基本的にはHSPの特性は引き継ぎつつ、どうやら外交的なHSPなんだと。HSPだと思ってた時はINFJで、今はENFPということも関係しているのかな?
HSEを含め、HSPには4つのタイプがいる。
HSP、HSS型HSP、HSS型HSE、そしてHSE。
・刺激を求めるかどうか
・内向的or外交的
によってタイプが決まるんだって。
まあ確かに私、めっちゃ繊細だけど他の人と関わるのは好きだし、嬉しいこととか幸せとかを他の人と共有するのは好きなんだよな。
一つ疑問だったのが、刺激ってどこからが刺激なんだろうね?
私ビビリなくせに多少の刺激は求める性分で、たまに変に何かにチャレンジしてみたくなったりする。じゃないと劇的に環境が変化するであろうスタートアップの3人目の社員になんか飛び込んでない。
とはいえ個人的な見解としては、どちらかというと刺激を求めないに属するんだと思ってHSEとして納得することにした。
HSPの中にも複数タイプがいるわけだし、同じHSP同士でも共感できること、できないことがある。HSPじゃない人からすれば「なんでそんなこと気にしてるの?」とか「なんでそんなことで泣くの?」って理解が難しいのも、想像に難くない。
まあどのタイプであれ、根っこが繊細であることは共通だ。
日々刺激と闘いながら生きていると、たまにしんどくなるし、頑張りすぎると疲れちゃうよね。
現に今、やわやわ豆腐メンタルが限界を迎えそうで、珍しく一人の時間を多めに取っている。もうちょっと大切に扱ってってば。
小さな幸せに癒されながらゆるゆると生きていきたいね。
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