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自分軸で生きる

今日はかすみんさんの「#私のライフストーリー」企画に参加させていただきます☺️



「ちっちゃな頃から優等生」

自分で言うのもなんだけど『うっせぇわ』の歌詞、「ちっちゃな頃から優等生 気付いたら大人になってい」るような生き方をしていた。

小1の時から塾に通っていて、勉強することにはそこそこ慣れていた。
中学受験は無事志望校に全部通ったし、周囲の人からは真面目という印象を抱かれていたと思う。大学でもGPA3.6以上を維持しているけれど、これはきっと選んだ学部がとても私に合っていてどの授業もそれなりに面白く感じられたことが要因だろう。

ただ、中高生の時は周りからの優等生評価を崩したくないという自分が確かにいた。




何のために頑張っているの?

高校生の時、ふと自分は何のために頑張っているんだろうと思った。
そろばんを習っていたこともあり、単純計算・算数の問題を解くのは早かった。
でも数学は私の今後の人生に役立つのだろうか。数Ⅲとか使わなくない?
化学では、モルとかいうモルカーみたいな可愛い名前の単位の計算で頭を抱えた。モルテストだけ赤点と再テストの存在があって、余計に生徒を脅かしていた。
無事再テストは回避。

確かにこれまで学んできたことは何かしらの役に立っているような気もするし、理系の学部に行くのであればそういった科目の勉強は必要だった。

その一方で、次第に成績という目に見えるものだけではなくて、自分が興味を持ったことを調べて突き詰められる能力や自分で課題を発見・解決するための能力の方が必要なのではないかと思うようになった。

客観的な評価が良いに越したことはない。

でも自分の気持ちに蓋をしてまで、したいことやありたい姿を変える必要はないと気付いた。




「私」の人生なんだから

以来、自分の直感と軸を大切にするようになった。
周囲に依存した理想の姿を目指す必要性から少し解放された気がした。

他人と比較して優劣を感じてしまうことはまだある。
数値化されるとそれがありありと示される。
私より優れた人なんて沢山いる。

でも比べても仕方がない。
別に優れている必要もない。

とある知り合いの起業家の方が教えてくださった。
「自分にしかないものを掛け合わせていくと稀な存在になることができる」と。
スキルの掛け算をするようなイメージだ。

ナンバーワンもかっこいいけれど、天才でもない限り骨が折れる。

自分に正直になって、満足した生き方ができればそれで良いのではないだろうか。
他人がどうこう言う筋合いはない。

同時に、私も周りの人にどうこう言う筋合いもない。
人それぞれだし、理解し合えなくても歩み寄れたらそれで十分じゃないか。

他人は他人、自分は自分。



かすみんさん企画ありがとうございます

「#私のライフストーリー」か、何を書こう…
なんて考えていたら気付けば数日経っていた。

数日経った割に大したことは書いていないけれど、改めて自分が大切にしたい価値観と向き合えた気がします。

かすみんさん、素敵な企画ありがとうございました!
皆様も是非かすみんさんの記事読んでみてください🥰



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