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親孝行は疲れるがやらねば後悔するという話

先日かねてから日光東照宮や東京国立博物館に行ってみたいと言っていた母を連れて四泊四日の東京・日光旅行へ行って来た。
四泊四日なのは往路が寝台列車サンライズ出雲で東京に向かった為である、東京へ行く時毎度岡山県民でよかったと思うのがこのサンライズの存在である。夜のうちに寝台列車で眠り朝起きれば東京駅に着いている、しかも夜行バスと違って前に座る人の頭部やリクライニングの圧迫感は気にならないし寝返りも打てる。まぁ大体朝4時ごろに日の出と共にまだ静岡かという感想で目覚めるのはもう仕方ないのだが。

親が自分で歩けるうちに

母は出不精で浪費をきらう人間だった。
老後の資金が心配で出費をきらう反面、安かったからと割引の揚げ物惣菜や刺身をよく買う矛盾に満ちた人間で、方向音痴だった。
私はドライブが好きであった他界した父に似たのか、大学進学を機に地元から離れてから随分と色んなところへ出かけた事もあり所謂フッ軽旅行者であった。
私が旅行から帰るたびに母は「1人で色んなところに行けてすごいね」と言ったが、そんなの乗り換えアプリとICOCA、資金さえあれば誰でも出来ると言っても母は頑なに私は無理だからと私を尊敬しながら卑下していた。
3月末に7年間勤めた職場を退職したこともあり、時間に余裕が出来東京の友人とこっち来たら次は椿山荘のアフタヌーンティーでも行きたいねとも言っていたのでついでに母を東京に連れて行けば親孝行になるのではと思い付いた。
父は生前母に「奈良に家族旅行したい」と言っていたのを何年か前に母から聞いた。奈良は母が興味ある土地の一つであった、父はきっと母を連れて行ってやりたかったのだろう。
父の代わりと言うと烏滸がましいと怒られそうな気がするが、丁度母も定年を迎え短期の仕事の間に出来た休みに東京へ行くことにした。
行くからには一泊二日なんて日数では帰らない、最低でも二泊どころか三泊だ。かねてから日光東照宮にも行きたいと言っていたので日光の日帰り旅行も東京旅行中に組み込んだ。
正直言うと焦っていた、ここしばらくで母の白髪が増え物忘れも多くなって来た。
ボケる前に、体力があるうちに母を旅行に連れて行かねばと使命にも似た感覚を抱きながら岡山発東京行きのサンライズ出雲のチケットを取った。
既に個室は埋まっており、取れたのはのびのびシートというカーペット上に横になれるという最低限の人権が確保された個室に満たない指定席だった。
母は「夜行バスでもいいよ」と言ったが、還暦を過ぎた旅慣れしていない人間を夜行バスに乗せ東京、しかも新宿駅で降りたと公言すれば親不孝者と言われるのが目に見えていた。
母は夜行バスの恐ろしさを知らぬ幸福な人間であった。

何でもいい、は何でもよくない

一人旅は慣れたものだが家族旅行となると自分が行きたい場所だけでなく、相手の行きたい場所も回らねばならぬ。そして食事もなるべく相手の好みに寄り添う努力が必要だった。
東京駅に着いて売店で買ったゼリー飲料を朝食にするのは私1人ならともかく朝はお米が食べたい、と言う母の願いを叶えるために東京駅かホテル近隣で朝食の食べられる店を探さねばならなかった。
東京駅、ホテル近隣で朝7時から空いてる白米が食べれる店は限られていたし、何店か早朝から空いている店を提案したが朝から魚は……と東京駅の朝食の美味しい寿司屋は断られた。もう候補がおにぎり屋か24時間営業の居酒屋か牛丼チェーンしかない。米が食べれたら何処でもと言った母はそのどれもに対して母は抵抗感を示した。徹夜明けのなか卯の朝定の味噌汁のありがたさを母は知らなかった。
結局ホテル近くの喫茶ルノアールでたまごトーストを食べ、ホテルに荷物を預けて1日目は浅草観光をし夜は日本橋で和食を食べライトアップされた東京駅を見て綺麗ねと言った。
ライトアップされた東京駅を眺める私達親子の背後で何組かのウェディングフォト撮影が行われていた。

有名だから見たいという価値観を否定しない

私自身、旅行の目的は現実世界からのリフレッシュである事が多いがその理由の大半は何か好きなものやイベント、人に会う為のものであった。
歴史が好きなので史跡や博物館巡りも好きだし、フィールドワークも好きであるが母はそうでは無かった。
どちらかと言うとこちらの方が世間では多数なのだろうが、有名だから行ってみたいという理由だった。
私はいくら有名でも特に興味がなければ進んで見に行こうとは思わないタイプなので、おかげでベタな観光地とは縁遠かった為浅草寺や日光東照宮に行きたいと言った母には少し感謝している。
浅草寺はともかく、日光東照宮など徳川家に特に思い入れのない私にとってはただの豪華なだけの墓であった。
私がこれまで参拝した社寺の御朱印を見て、私もやってみたいと言い出した時はついに寺社仏閣にも興味が出たかと思ったが、その実は旅行先の思い出スタンプラリーであった。
例えば複数の御朱印などがある所ではせっかく来たのだからと、全種類お願いするような人間だったので私はあまり好ましく思わなかったが、あえて口も出さなかった。
そんなこんなで東京在中、特に日光で母は大量の朱印を手に入れた。

家族旅行は基本的に疲れるもの

幼い頃は子供に色んな体験をさせようと家族旅行に連れて行ってもらう立場であったが、気が付けば出不精な親を連れ出す立場に変わっていた。
これが非常に疲れる、というか疲れた。
親は子供と違い、体力があり常識もあり愚図ったりしないが思ったことをすぐ口にする。デパ地下のデリカコーナーや菓子店の前で「割引してもこんなに高いの」「マカロンなんてコンビニのものでも十分おいしい(ラデュレの前で)」などとのたまった。日本橋高島屋のオーボンヴュータンでクッキー缶を買おうとした時、私が店員さんにここのお菓子を買うのがずっと夢で、良かった最後の一箱なんです、と言う会話を見てか特に何も言わなかった。黙る事できるやんけ。
そして更にしんどかったのが特にうちの母は身振り手振りが大きく駅や博物館でもそんな感じなので、人や展示物に手が触れないかとヒヤヒヤした。実際李下に冠を翳さずではないが展示物に触れてるように見えた瞬間があり、母は私と学芸員2名から口頭注意をされ、私はそれがとても恥ずかしく情けなかった。
老いた親を連れて何処かに行くのは大変に気を使う。

親孝行は子の自己満足と割り切る

色々と理由をつけ母を東京と日光に連れて行ったわけだが、概ね母は楽しんでくれたようで親戚に東京に連れて行ってもらってどこそこに行ったのよと旅行の話を楽しそうにしていた。
親孝行したいときに親は無し、という言葉もあるように私は彼氏はおろか成人式の晴れ着を見せる事なく他界した父がいるのでよくわかる。
酒と女に手を出さないがパチンコと煙草に今考えると依存していた父であったが、生きていれば一緒に酒を飲んだりシン・エヴァンゲリオンの完結にああでもないこうでもないと言い合ったりしたんだろうかとも思う。
結局は子のエゴではあるのだが、巻き込むのであれば親もなるべく楽しい方がいい。私の親孝行の方針はこれである。
私は金はあの世に持って行けないが、経験に関しては老後は勿論あの世まであわよくば持っていけると思ってる人間なので色んなことを経験したいし見たいと思っている。時々支出が収入を上回る月がありそんな私を見て母は、また無駄遣いをと呆れるが退職した生い先短い人間は少しでも子供に頼らない自分が生きるだけの金が必要なのだ。その気持ちもよくわかる。
死んだ後にあそこに連れて行けば、大学時代もっと帰省して旅行でもしていればと思うが父は帰ってこない。
父は母に「家族で奈良に行きたい」と言っていたらしい、父が行きたかったのか母が行きたいと言ったのかはわからないがこれを私は遺言のような呪いだと思っている節がある。
とりあえず東京へ行った事でICOCAで自動改札を通りチャージも1人で出来るように旅行中に教えた。
しかしきっと母は一人旅をしようとはしないのでまた私がどこかへ連れ出す事になるのである。

そんな親孝行のつもりの旅行の話でした。
正直疲れるのでもう三泊も一緒に同じ部屋で過ごしたくない、部屋はもちろん別々がいいし次に行くとすれば二泊が限度だと思う。
親孝行というのは疲れるものなのだ、そう改めて実感したし、親が何だかんだと30過ぎた娘であっても構ってくれるのはやはり親の愛なのであって、それを受け取るのもまた親孝行なのだとも思う。
なるべく死んだ時に後悔が無いようにと親孝行のようなことをしたが、きっともっとああすれば良かったと思うのだろう。

おしまい。

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