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3年目の決意表明

昨年の4月、緊急事態宣言という前代未聞の出来事が訪れて、
誰にとっての緊急なのか、何が不要で何が不急なのか、
疑問の余地を残したままとうとう1年がたつ。

「たくさんの人が行き交う」光景が当たり前だった時のポルトはいつでも恋しくて、あのころ当たり前に享受していた、みんなと幸せの空気を共有することの尊さが身にしみる。

「あのころを振り返るばかりの懐古主義は、実生活に満足の行っていないことのあらわれよ 」ー映画「ミッドナイト・イン・パリ」
これに少し反論させてもらえるとしたら、あの頃があったからこそ今の私が存在していて、それは紛れもなく今の私を私たらしめている証なのだ。「あの頃」がときに私を優しく胸打つ時に、ふと思い返さずにはいられない。昨日も今日も明日もこの先も苦しいのだから、あの頃くらいは美しく額装してもいいと思う。

旅館で働こうとは思わないの?都会に出ようとは思わなかったの?地元に求人募集しているホテルはあるよ?観光案内所は?同じ接客業でしょ?結局、人と話すのが好きなだけでしょ?と聞く人の中には、これにそのまま対した私の答えを求める人は少なく、
「ゲストハウスの何がそんなにいいんだ」
結局はこれを言いたいばかりに私の外郭を薄く削っているように見える。
確かに、類似の仕事なら無数にあって、私はなんやかんやで、どの仕事にも今の自分の仕事との共通項を見出しては、それなりに悩みそれなりに楽しめるような気もする。けれど、ゲストハウスが、私の今までの人生の中でたどり着いた究極の選択なのだから、なぜゲストハウスがいいのかなんて問いはあなたにとっても私にとっても無意味で、でも依然として究極の問いだ。

人々がどこへ向かおうとしているのか、あるいはどこへ向かいたくないのか、なぜここを選ぶのか。そしてなぜここに留まるのか。
彼らの旅の途中にぽつんと佇む私は、彼らにとって何になれるのか。
もはやどっちがゲストなのか、誰がスタッフなのか、友達なのか、家族なのか...。自分の立ち位置に常時混乱しながら、それでも五感と六感で、相手とのちょうどいい距離を掴めたら、あとは引き合うだけ、解り合うだけの関係性。この手応えは嬉しい。

天気で、気分で、なりゆきで、
私が1日1日作り変える世界に人々が訪れて、時々乱立する異文化が、幾重にも重なり、交流電流が通電する。毎週末のようにそんな小さな稲光を目の当たりにしては感動していた。
異文化のけたたましい交差にワクワクしてしまう私の脳内回路のルーツは、異文化コミュニケーションゼミ(と言う名の映画会)で卒論を仕上げた時の名残かもしれない。それはもっとたどると、アイルランドで過ごしためまぐるしい日々で、圧倒的理不尽や絶対的真理を突きつけられたからこそ気づいたことに由来しているかもしれない。やりたいことが多すぎて時間もお金もなかった学生時代、残高は常に赤字だったけど、過去に費やしたもので私はできているのだなと、ひしひしと、ひりひりと、感じる。
こんな繰り返しに幸せを感じる自分が、果たして贅沢なのか安上がりなのかは知るよしがないけど、天職と一言で片付けてしまうことだけは安っぽいから避けたい。あまり大きな声では言えないけれど、ゲストハウスでの人との関わりは、自分の中では仕事を越えて「生涯学習の一環」に近いものがある。誰のためでもない、自分を健やかにするもの。

自分のゲストハウスを作って、大切な人を大切にしたい。
アイルランドでそう思ってから5年が立つが、本当に口ばかり、夢ばかりで、実は自分一人が作ったものなんて何一つない。
けれど、私が何はともあれあの頃を美化するように、
未来の私がどうであれ今を美化できるように。
ここに辿り着くまでに出会った全ての人と全ての過程に抱擁をしながら、
ポルト3年目です。よろしくお願いします。

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