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いよいよです!

こんにちは。昨日、淡路島から藍染暖簾が届きました。
この暖簾がかかっている時は営業となります。
僕が渋谷に住んでた頃から、ずっと友達の男の子が作ってくれました。
渋谷に住んでたのは状況したてだから16歳くらいの時です。彼は下北沢に住んでいてよく自転車で行ったり来たりしてました。
今思うと、まさか約20年後に僕が喫茶店を、彼が藍染を。なんてこれっぽちも想像してなかったです。でもまぁ人生ってそこが面白いですよね。なんとなく直感を頼りに生きてきて、日々いろいろな選択があり沢山の枝分かれの道があり、そんな中でもずっと繋がっている友人は本当に奇跡の様な存在で僕の大切な財産です。

駐車場の看板も作りました。店舗の入り口の手前が駐車場になります。
場所は睦沢の道の駅 つどいの郷の裏あたりになります。
詳しくはホームページをご確認ください。13日は今のところ天気も良さそうです。この間、全くお客さんが来ないって夢をみました。
小学生が二人来てくれました。夢の中で「一人でも来てくれて良かった。」とホッとしてました。こればっかりは、当日を迎えてみないとなんともわからないのですが、今日の日中、買い出し途中に車内で音楽をノリノリで聴いていたら、「そっか!今週末はパーティーやん!」と、気持ちが切り替わり一気に楽になり、やっとやっとここまできたのだから、とことん楽しもう!そしてまずここまで頑張ってきた自分たち家族を祝おう!なんなら、友達やお客さんが来てくれて一緒に祝福モードで時間を過ごせたら最幸です!と、ヴィジョンが明確になりました。あまり力まずに肩の力を抜いて、自分達らしく在りたいと思います。

最近ふと思うのですが、こうしてお店が形になってきて「一体、何が自分をここまで突き動かしてきたのだろう?僕のエネルギーの源はどこからやってくるの?そして、この感性で生きてきた原点は?」と自問自答しています。

そこで、この間ひょんなきっかけで僕のサーフィンのマスターが、音楽アプリのSpotifyを教えてくれまして、それがまた素晴らしいアプリで久々にじっくりと音楽と向き合って、中学生、高校生の頃に聴いていた曲やレコード屋さんで働いていたころの曲でプレイリストを作ったり、森の店内でかけたいな〜と思う曲のプレイリストを作ったりしていて、音楽と会話していると日々ご飯を食べるのと同じくらい、僕にとって音楽はとても大切なんだ!と思い出しました。

意識して音楽を聴き始めたのは中学生の時です。思春期でもあり反抗期でもある多感な時期にパンクロックに出会いました。僕は母子家庭で育ったので、反抗するにも父親という存在がいなかったので、
「どこにどうやってぶつかればいいのか?」まったくわからくて。
外に出ては喧嘩ばっかりして母には心配ばかりかけていた気がします。
でも、そんな中でパンクロック、ピストルズ、ラモーンズ、パティスミス、ニルヴァーナ、ビースティボーイズ、マーフィーズロウ、GBH、 DISCHARGE、とかを聴くようになって鬱憤や怒りや姿勢を全身全霊で音楽にぶつかっているスタイルにもろに影響を受けました。
特にピストルズは洋服も含めてトータルでかっこよくて、
学校から帰ってきてはライブビデオを観て、写真集を眺めてと。
今思うと三重県伊賀市の田舎の子供にしてちょっと変わったところがあったと思います。
姉の影響や、母の友人の子供(当時は藤沢に在中)の影響も大きかったです。今でも、姉と一緒にいった小沢健二のライブや、コレクターズのライヴも中学生にとっては衝撃でした。
東京で一人暮らしをしてからは、毎週末ライブに行ってた気がします。
当時はロンドンナイトにも通ってました。
未成年でも普通に入れたし、あのちょっとおっかない感じとかアキラさんのDJも好きでした。

その後、山でテクノに出会い、BOREDOMSのEYEさんの影響でハウスに目覚め、どっぷりとダンスミュージックにハマりました。東高円寺の知る人ぞ知るグラスルーツバーでは、平日にも関わらず NOBUさん、光さん、 CMTさん、 SHHHHさん、 HARUKAくんといった今じゃ考えられない素晴らしい空間が在って、日本のアンダーグラウンドダンスミュージックシーンの総本山といった感じでした。
僕は朝6時から夕方18時までカフェで働いて、家に帰って(江東区の木場)仮眠して、夜中に起きて一時間くらいかけて自転車で通っていました。
永代橋を渡り日本橋から丸の内、皇居を抜けて四谷から中野、
高円寺と行ったルートが毎回ワクワクしてたまりませんでした。
夜中の東京は人も少なく独特の緊張感があってそれもまた心地よかったです。

オーナーのQさんは、いつ行っても温かく迎えてくれて。僕は基本的につるむのが苦手なので一人で遊びに行って、Qさんがいろいろな人を紹介してくれて(時には、隣で呑んでた坂本慎太郎さんだったり)、その頃の自分の鬱憤を優しく溶かしてくれました。踊り明かした朝に窓から射す太陽の光が希望に満ちていて、それを浴びて音楽のエネルギーを充電しに行っていたようなものです。

少し長くなりましたが、ここまでやってこれたのは音楽がいつも常に寄り添ってくれていたから。パンクロックに出会わずに、発散出来てなかったら、ため込んだまま大人になってたらと考えると、かなりやばかったと思います。母は、僕が聴く音楽とか着る洋服とかにあまりうるさく言わなかった。それも今思うとありがたいです。そんなこんなで山あり谷ありの人生でしたが、今ほど幸せを感じたことはありません。だって、家族がいて、お店も始まる!お店では好きな音楽を一日聴いていられる!(村上春樹氏も昔はそれが目的でバーをやっていたみたいです)今まで生きてきて感じたことや、吸収してきたことを、森というお店にぶつけてみます。皆さん、ぜひ遊びに来てください。