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「文豪ストレイドッグス」という現象


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朝霧カフカ原作、春河35作画によるイケメン化した文豪がバトルする漫画、現在も連載中&アニメ放送中

文豪って言っても舞台は明治や大正ではなくバリバリ現代だし、性格や特徴は文豪そのものではなくデフォルメされたキャラクターで、

そもそも職業が基本的に文筆家じゃない

主人公の中島敦は茶漬けが好きな孤児の少年だったり

芥川は残忍なマフィアだったり

太宰は恐ろしく頭の切れるイケメン屑探偵屋だったりする。


自分はもともと中原中也マニアで中也について調べてたら出てきたのがこのキャラクター。

実際の中也も幻想的な風貌をしたおしゃれイケメンだが、文豪ストレイドッグス(以下文スト)の彼も史実の彼の特徴とキャラクターをうまく落とし込んだ秀逸なデザインと設定をしている。


実際この作画の良さはモデルの文豪の世界観と程よく調和してて、すぐに虜になった。

話も面白い。バトル漫画で所謂特殊能力ものなんだけど、それぞれの異能力は実際の作品にちなんでいる。

中島敦だったら「山月記」は虎になる話だから文ストの敦くんは白虎に変身する。

中也は「汚れっちまった悲しみに…」で触れたものの重力とベクトルの大きさを操作できる。

細かい内容とかはpixivに載っている。ファンアートも充実してるから結構わかりやすいと思う。

もともと古い小説を読むのは好きだったけどこの作品のおかげで知らない作家を知れて、読書の幅は広がった。

中学の便覧だと中島敦は大きく載っていないし、日本現代文学に人が虎になるようなぶっ飛んだ小説があるのかと感動した。文豪というジャンルに入りにくい大衆作家や海外の作家も登場し、元ネタに触れるたびに幼い知的好奇心が満たされる思いがした。

アニメ化と同時に世間の認知度と人気度はグッと上がり、出版元の角川からはカバー文庫も販売された。

そんな文ストだったが、一時距離を置いていたことがあった。

理由は大きく二つある。流石にリアルの文豪に失礼なんじゃないかってキャラが出てきたことと、展開が泥沼化してきたことである。

史実がどうとか正直野暮だし実際の文豪と関係性が異なるのも史実の作品に対する色眼鏡が外れるから悪いことではないと思っている。

だが10巻過ぎたあたりに出てくるキャラで明らかに不細工な小者実際の文豪の名前で登場して当時コミックスを購入しどんな設定で出てくるのか期待しながら読んだ時の衝撃といったら…

あえてその文豪の名を伏せるのは、その人物が展開の鍵を握り(小者の癖に)、読者に意外性を与える切っ掛けになるから。

この「意外性」について、原作者の朝霧カフカは強いこだわりがあるようで、

「サプライズ」を楽しめる作品をつくるのは、本当に神のワザだと思います。サプライズをつくるには、読者の心と一体化する芸術家的センスと、計算されつくした物語構造をつくるための技術者的設計力が同時に必要とされるからです。「実は黒幕は親友だった」「実は父親は生きていた」「実は主人公が犯人だった」……意外っぽいキーワードを作中に置いてみただけでは本当のサプライズにはなりません。そこには読者も気づかないうちに物語の流れに死角をつくり、そこに全く意表をつく、それでいて驚いた後にはそれしかないよなと納得せずにはいられない、精緻で美しい事実を入れる必要があるのです。

超常現象ホラーと本格ミステリの奇跡の融合!“サプライズ”にのけぞる、綾辻作品入門にもおすすめの一作『Another エピソードS』

この書評、原作者のミステリへの造詣の深さやものづくりへの思いが読めて結構面白いんだけどそれは置いておいて

彼の言う「サプライズ」は文ストの1話に一つレベルで散りばめられている。実際からくり人形のように噛み合う新事実の連続は凄いなって読んでて感心するんだけど、

そのために文豪をクソザコキャラにしてフォロー無しはあんまりやろって思うんだよねぇ

結構今まで文豪キャラには善人でも悪人でも弱いキャラでも何かしら活躍が設けられてきた分そのキャラの役回りはショックだった。

あとこの辺りから主要キャラの絶望的窮地が増えてきて読むのに疲れてきたんだよね

個人的にはサプライズの過剰供給なんじゃないかと思ってる。

史実で志賀直哉が芥川龍之介の「奉教人の死」っていうラストに意外な結末がある小説に対して言った有名な批評に「読者に背負い投げを喰らわすやり方」ってのがあるんだけど

どうも今の文ストの展開はいっぺんに背負い投げしまくりな気がして

「今まで頼もしかったキャラが暗い過去を持っていた」「意外な人物が裏切った」「壮大な罠が仕組まれていた」

序盤から考えられていた伏線とはいえ一気に回収されすぎて読者を窒息寸前まで追い込んだ感があるんだよね。

だから嫌いになったとかいうわけじゃなく、「大体解決したら教えて〜私は冬眠します」ってスタンスなんだけど

一年くらいたってもどんでん返しの連続でいまだに解決しないっていう…マヂカヨ

そんな最中、その泥沼の序章が今やっているアニメシーズンで、大丈夫かよ…と思いながら久々に見てみたんだよね。

すっごく面白かったんだよ。

ちょうどSPY×FAMILYとかチェンソーマンでアニメを観る習慣がついたうえで見ると、製作者の原作への理解度や意図が見えてなかなか面白いんだよね。原作より丁寧に描かれている部分もあるし

何より主題歌が素敵。

SCREEN modeさんは原作のかっこいい世界観をふんだんにレトリックを用いて表現するし

ラックライフさんは毎回この作品の根幹をなす哲学を歌い上げる。

つくづくこの作品は漫画にとどまらず大きな現象として完成されているのだなぁと思った。

これだけ制作サイドからも愛されるのは重厚な原作あってのものだと思うし、こうしてメディアミックスで楽しめるのも悪くないよな。

そんなわけで、忙しいにもかかわらず現在文スト熱が来ている私は暇さえあればファンアートを描き、読書を重ね、貴重な時間をこの文章を書くのに費やしているのであった。とても心の支えになってます。


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