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ハンセン病療養者の短詩を読む ⑩療養所生活の現実 ―療園の門慕わしく忌まわしく―

ハンセン病患者にとって療養所は確かに療養の場ではあったが、差別によって追いやられた場所であった。一方でその生活のなかに生きる喜びを見出すこともあったが、見出さざるを得なくて見出したという側面もあったことだろう。
 
かさなれる屋根屋根寒き月に照る夜の癩園に入園をせし 双葉志伸
屋根の向こうにまた屋根があって、それを月が照らしている。寒い夜である。
これから自分を迎える療養所の屋根を見て、そこに入ってぬくもれるということよりも、月の光の冷たさを思う。入園時を思い返す際、安心よりも不安を思い出す。
 
配食を待ち居る人らにへだたりて独り立てるは新患者らし 中村五十路
集団になじむまでは、人の輪のなかに入って行きづらい。食事のような大事なことでも、遠慮がある。
 
危険の札さげられ遠く来し媼の癩園につきてくつろぐあはれ 笹川佐之
「危険」という表示を付けられて、老婆が療養所にやってくる。
人々はハンセン病を恐れるあまり、患者を傷つけることにためらいがなかった。
療養所でようやく老婆はくつろぐ。人の世界から追いやられてようやくくつろぐ様子に、見ている作者は哀しみを覚えた。
 
療園の門慕わしく忌まわしく 山本良吉
患者にとって療養所がどういう場所であったか、相反する気持ちが一句に込められている。
 
どうだいと呼びかけられし一言が無闇にうれしき日のありにけり 岩本孤児
「どうだい」は丁寧な言い方ではない。ぞんざいな言い方だ。こちらの都合なりなんなりを聞く「どうだい」のぞんざいさがうれしかったに違いない。気を使われないことのよろこびを作品にしている。
筆名に驚かされる。
 
この春の桜の花にふれざりき葉桜の影ベッドに動く 上村真治
なぜ、桜の花にふれなかったのか、ふれるために外に出るということがかなわなかったのだろうか。
 
思ふだにかなしけれども敗戦は癩園の吾らに人権をあたへぬ 藤井清
日本の多くの人々にとって悲しい敗戦が、皮肉にも療養所の患者たちに人権を与えた。
敗戦をともに悲しむには遠い場所で、患者たちは暮らしていた。
 
戦後九年園の民主化なるといへど守衛の壁に手錠かけてある 横山石鳥
戦争が終わって九年がたった。療養所にもまた民主化の流れがあったが、守衛室の壁には手錠がかけてある。何のためにまだあるのか。いつか手錠をかける必要を感じているのだろう。
 
癩者らいしゃ吾等われらの父と云はれし園長が強制収容を国会に説く 田島賢二
療養所を運営する園長は、患者らの「父」と呼ばれるほどであったが、その人が同時に強制収容を国会にうったえる人でもあった。「吾等の」に苦渋を感じる。
 
日日われの最も多く使う言葉心こめて言ふありがとう 山本吉徳
この一首は、まるで挨拶の標語のように道徳的に見えるが、患者の境遇を考えると、「ありがとう」を使い続けねば生きていかれなかったのではないか。
 
療養所ほえない犬がほめられる 松下峯夫
世間は患者を差別した。では、療養所は救いの場所だったか。療養所には療養所の社会があり、権力も、権力の腐敗もあったということだろう。
 
 
作品はすべて、『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子・編、皓星社より引用した。

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