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ハンセン病療養者の短詩を読む ⑨少年少女の生活と心情 ―あたらしき友を迎へて―

ハンセン病療養者の短歌・俳句などの本『訴歌』には、少年少女の作品も収められている。
少年少女の作品には末尾に「少年」「少」などの表記がある。
少年らの作品や、少年期に関係のある作品を紹介する。
 
保姆かあさんにワゼリン貰って手のひびにすり込みたれば手はひかるなり U・M子(尋常小六年)
手荒れを抑えるためワセリンを塗った。すり込めば光るという表現には、ただ塗ったというよりもすり込んだ分よく光っているような実感がこもる。
この見事な短歌には、「お保姆かあさん」という見慣れない文字がある。療養所に入った子供は親と暮らせない。そのため、療養所の大人の患者が親代わりをした。これが「お保姆かあさん」である。
 
あたらしき友を迎へて星まつり 安光(少年)
新しい友をむかえるうれしさにいねむりしつつ待っているなり 松山くに(少)

いずれも新しい友人を迎えるよろこびに満ちている。だが、新しい友人とはつまり、ハンセン病と診断された患者である。作品のよろこびは本当で、しかしそのよろこびの外には苦しみがあった。
 
荒地野菊あれちのぎくぎて嗚咽す新患の少年夕焼ゆやけも言葉もれず 新井節子
荒地野菊を薙ぎ払うようにして嗚咽しているのは新しく来た少年だ。ハンセン病にかかり、家族と離れ、病気や偏見と戦って生きるというこれからの展望を、彼は受け入れることができない。夕焼けも、おそらく優しい周りの言葉も、いまの彼の心には届かない。
 
おひな様かざっているとサル小屋でサルの親子もながめています 山本シメ子(少女)
実際にそういうものが身近だったのだろう。普通の村より小さな規模だから、サル小屋と居住地の距離が近いのだと思った。
 
作品をつくる友らはねむそうに夜をねむらず作っているなり 馨(少年)
少年少女らは療養所で大人と暮らすので、いっしょに短歌や俳句を作ることにもなった。この友らもまた、そうなのではないか。楽しんではいるが、夢中というわけでもない。夜は眠りたいのだが、作っている。
 
岩の上に茶わん置きあり山しみず 明彦(少年)
解説も野暮になるような見事な一句。山の清水のあるところに、岩の上に茶碗が置いてある。最後の「山しみず」を読むと、岩の上の茶碗を見ていた自分が、一気に自然に包まれる。
 
犬の子をひしと抱ける癩少女まなこを上げることなく行けり 牧野静也
ハンセン病の少女が犬を抱いてゆく。目を伏せて「ひしと」抱いてゆく様子は、その情愛の深さとともに、どこか周りの世界と隔絶しているようにも思える。彼女をそうさせているのは何か。
 
鬼灯をくれた少年遥かはるか 辻村みつ子
この句の「少年」が患者かどうかはわからない。だが、なんとなく感じる。
この「遥かはるか」は、単にいま見ている遠い距離ではなく、もっと時間が流れてもはやどこにいるかもわからないような遠さだと思う。
少年が鬼灯をくれたころ、作者もまたいまより若かったのかもしれない。
 
医局台帳より少年の日にはがしきて今に秘めもつわが顔写真 鏡功
なぜ医局台帳から顔写真をはがしてくるのか。
ハンセン病にかかった場合、顔に変形が現れることが多く、本人は苦しみ、人々の差別の原因となった。
少年の日に診断を受けて、将来の変形を察知したのだろう、まだ変わっていないうちの自分の顔写真を、もちろん許されないこととして、台帳より剥がしてきたのに違いない。
それを今もこっそり持っている。本当の顔がどちらとも他人からは言えないが、作者にとっては写真を秘め持つ必要があったのだ。
 
 
作品はすべて、『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子・編、皓星社より引用した。

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