見出し画像

ハンセン病療養者の短詩を読む はじめに

私の手元にある書籍、『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』の装丁には、変わった点がある。
 
白い書籍に鮮やかなピンクの帯が掛かり、帯には「抗い、生き、歌った! ハンセン病療養者の命の一行詩 短歌・俳句・川柳」とある。
帯文が示す通り、この本はハンセン病療養者の短歌・俳句・川柳を集めた詞華集である。
編者は阿部正子といい、辞典の編集者をしている人だそうだ。
 
装丁が変わっているというのはどういうことか。編者の名前は帯に隠れて、背表紙にも表紙の表にも見えないのである。
あくまで、作者はハンセン病療養者たちであり、編者が前に出ないということなのかもしれない。
 
三千三百ほどの作品を集めた『訴歌』を読んだ。その一部を引用し、紹介したい。
紹介する作品はテーマごとに分けて、数日ごとに1テーマずつ記事を載せようと思う。
第十二回まで続く予定である。
 
この「はじめに」を書くにあたっては、ハンセン病と社会のおおまかな歴史を記そうかと思ったが、やめることにした。
それはたとえばハンセン病資料館のサイトを見れば事足りるので私の役割ではない。また、私自身がハンセン病への関心からではなく、短歌への関心からこの本を手にしたからである。
 
短歌の世界では、「私性」という単語がキーワードとして取り上げられることが多い。論者によって様々な定義を持ち、またそれを分類する文章もあるが、大雑把にいうならば、作者の実際の人生と、作品との関わりについての議論である。
私がハンセン病療養者の短歌に関心を持ったのは、「私性」の短歌の代表例だからである。

実際の人生と作品とが分かち難い作品群として、ハンセン病療養者の作品を読み始め、結果的に魅了されたということである。社会問題や悲劇性への関心は二の次であった。この文章を書いているいまもなお、ハンセン病についての知識は、「国立ハンセン病資料館」のウェブサイトを流し読みしただけにすぎない。
 
してみれば、歴史から短歌にふれるのではなく、作品から歴史にふれるという順番が、私にとっては自然だし、そういう人を他に生み出してもかまわないと思った。それをきっかけにさらに歴史を調べた人は、すぐに私より詳しい人となるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?