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ハンセン病療養者の短詩を読む ⑧子供に関する苦悩 ―母乳を夜半に妻しぼり捨つ―

ハンセン病患者は、感染の拡大をおそれて断種・中絶を強いられる場合が多かった。子供を持った場合も、差別にさらされたし、また患者自身も子への感染をおそれるほかなかった。
ここでは、子供と言っても子供の姿そのものではなく、親子の関係についての短歌を紹介する。

らい病めば優生手術をうけて住む夫婦舎地区に子らの声なし 北田由貴子
 優生手術という言葉は字面はよいが、遺伝をおそれ、おそれさせられ、彼らは子を生す機能を強制的に断たれたのであった。夫婦舎地区には夫婦がたくさん住んでいたであろうが、高く聞こえるはずの子供たちの声は聞こえてこない。

子に感染うつす病ひを怖れ断たしめし母乳を夜半に妻しぼり捨つ 木谷花夫
さいわいにして子を得た者にも、厳しい状況が待っていた。ハンセン病を感染させないために、子供に母乳を与えない。母親の身体は母乳が出るのが仕組みであるから、その父を夜半に絞り捨てているのだ。

西瓜丸く丸くまさぐり吾子あこ遠し 不動信夫
子と別れて暮らす者もあった。スイカを丸くまさぐるというのは、撫でるようにしてスイカの形状を確かめているのであろう。その手付きは、遠い子供を愛おしむようなものであったに違いない。

入学を拒むPTAの声きけばみじめなり癩病む親の子は 畑野むめ
差別は、強権的な国家権力によってのみ行われるのではない。患者の子の入学への拒絶が、PTAによって行われた。PTAは、Parent-Teacher Association(保護者と教師の連携組織)である。そんなことを言ったって自分の子供を守るためにはやるしかない、のような気持ちは、いまの私達にも容易に生じうるものだ。

作品はすべて、『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子・編、皓星社より引用した。

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