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ハンセン病療養者の短詩を読む ⑫差別にあらがう ―みづみづと朱き地の唐辛子―

最後に取り上げるのは、世の中の差別についての作品である。そのなかでも特に、なにか差別にあらがうことにかかわるような作品を紹介する。
 
架橋かきょうぎてぐる花火のとどろきにわれのうちなる過去砕けゆく 金沢真吾
ハンセン病の療養所は島に作られる場合があった。海による断絶は、社会と患者を切り離し、社会の側はそれで安心したのであろう。その島にようやく橋がかかる。橋は、建造物であってそれにとどまらない。祝いの花火の音に、作者の過去は「砕けゆく」。架橋の感動は、嬉しいとか悲しいとかまだ不安だとか、そういう言葉では言い表せない重みがあったのだろう。
 
 
老人を先立て先駆者の遺影抱き今ぞ渡り行く人間回復の橋 沢田五郎
この短歌にも橋が登場する。橋は人間回復の橋である。社会性の回復の橋である。老人を先に渡らせ、すでに亡き者の遺影を抱いて渡る。社会性を回復させることができないままに亡くなった人間にも橋を渡らせる。
 
悲劇的に批評さるるを常とせりハンセン氏病患者の短歌 小見山和夫
これまでハンセン病患者の作品を紹介してきた私の文章も、この批判にあてはまるところはあるだろう。実際に難病であり実際に被差別者であったのだから、悲劇的な側面はある。それでも、読者の批評が悲劇的なものに限られるならば、患者は文芸においても人生の自由を失う。
かろうじての自制として、noteにおける記事の公開設定で、ハッシュタグの候補から「差別」は使わずに記事を書いてきた。ハッシュタグは「短歌」「俳句」「川柳」とした。ひとつの文芸作品として読み、その上で差別に関わる作品については差別を語ろうと考えた。
 
病むわれの茶も嫌はずに飲みゆきし人夫らはまた穴掘りはじむ 壱岐耕人
人夫は患者の医療に携わる立場ではない。取り繕う必要のない人が、患者とよい人間関係を築かなくともかまわない人が、自分の茶を嫌がらずに飲み、そして特別にも思わず穴を彫り始めた。救う理由がない人だけが、人を救えるという場合がある。
 
ドロツプス無暗むやみに荒く噛みくだきわれとわが身にする抗ひよ 木谷花夫
抵抗は、他人に対してだけするものではなかった。自分自身の何かに戦いを挑むため、ドロップスを荒く噛み砕いた。
 
人がひとを差別しやまぬ世の隅にみづみづとあかき地の唐辛子 朝滋夫
人間の差別は終わらない。それは患者の実感だろう。唐辛子はからいものである。避けられることもあるだろうが、その赤さはみずみずしくも、ここにいるぞ、と存在を主張し続ける。
 
 
以上、この記事にて、ハンセン病患者の短詩の紹介・感想を終わりとする。
 
作品はすべて、『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子・編、皓星社より引用した。

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