ハンセン病療養者の短詩を読む ①視力の喪失 ―夢は見えるから―
清めたる義眼瞼に冷たけれ盲ひて会いしこの季節感 山岡響
洗った義眼が、まぶたに冷たい。それを、視力を失ったことで出会った季節感だという。「この季節感」の「この」に力がこもる。
静まりて舌に点字を読む見れば生きると言ふはかく美しき 永井静夫
ハンセン病患者は視力を失うという症状のほかに、手足の感覚が麻痺する症状がある。点字は指ではなく舌で読む。「静まりて」というこの短歌は、複数の患者がいっせいに点字を読んでいる様子を示しているのではないだろうか。
唇にさぐる花弁のみなやさしまだ蕾なるいくつにもあふ 谷川秋夫
視力を失った患者にとって唇は食べるための器官のみならず、外界を探る感覚器であった。限られた感覚器の鋭敏さは、咲いた花と蕾の花を感じ分けていた。
見えし時のしぐさのままに包丁を磨きつつおれば心足えり 今野新子
視力があったときの動作の記憶が残っている。それが、包丁を磨くことを可能にした。刃物を磨くという動作が、視力のあったころと失った今をつなげて、人の自我を安らげている。
全身耳音噛みわけて歩く道 岩谷いずみ
視力を失った者は、音を頼りに歩かねばならない。感じそこねれば危険が待っている。ただ聞くのではない、噛み分けなければならない。
見えぬ目に青き空見ゆ雪雫 後藤房枝
雪雫とは、家屋や樹木の雪がとけて水になることを示す春の季語である。雪がとけて落ちてくる水の音が、感触が、雪解けをもたらす春の空を教えてくれる。
舌頭にて点字一行を読み得たる心あはあはと春雪を踏む 秩父明水
点字の一行を読んだ心で、春の柔らかい雪を踏む。あるいは、春の雪を歩いてゆくように、点字の一行を読むのかもしれない。
夢は見えるから一番いいと突然に向ひ側ベッドの盲ひが言ひぬ 有村露子
視力をなくした人にも見える世界がある。夜見る夢だ。突然にそれが一番いいと言う。いい夢か悪い夢かではない。見えるから一番いい。
作品はすべて、
『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子・編、皓星社
より引用した。
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