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ハンセン病療養者の短詩を読む ⑦夫婦の交流 ―息がこもれる火吹竹―

ハンセン病療養者には、夫・妻のことを語る短歌が多い。限られた人間関係を尊く思っている様子が、自然と伝わるよい作品がある。それらを紹介する。

生きてあらば楽しきこともあるといひ妻はしたたか吾が背を叩く 山本吉徳

「生きていれば楽しいこともある」。妻はひとごとで言っているのではない。ハンセン病の患者は、療養所で他の患者と夫婦となることが多かった。したたか背を叩く妻は、自分自身をも励ます勢いで叩いたのだ。
 
づまを肩に縋らせて歩み行く狭き雪路ゆきみち夜は光るなり 麻野登美也
上に記したように、患者同士の夫婦が多かったことからこのような短歌も生まれた。目が見えない妻を肩に縋らせて雪道を歩く。その作者もまた患者である。
 
短歌入れしテープの中より碁打てるつまのをるごと石音立つる 飯川春乃
短歌を録音したテープから、夫が碁を打つ石音が聞こえる。「をるごと」(いるように)であるから、実際にはいない。亡くなった夫が立てた石音のことと思う。
 
その時はその時ですと妻笑い 園井敬一郎
患者同士なので、常に「その時」が頭にある。死別は遠い将来ではなく常に目前の現実であった。その時どうするかはわからない。その時ですという覚悟をする。
 
亡き妻の息がこもれる火吹竹 浜口志賀夫
療養所の生活で、患者はさまざまな雑事をこなした。それが記憶となった。
妻が使っていた火吹き竹に、いまも妻の息がこもっている。美しい嘘だ。生きていた人が体の力をこめて火に息を吹く様子まで想像させる。
 
逃走を防ぐと我らに断種して所内結婚を奨励したり 山本吉徳
夫・妻をえがいた短歌は、思いやりを伝えて美しい。
しかし、所内結婚が多かったのは、療養所から患者を逃走させないためという政治的背景があった。奨励されて結婚し、そこで一生を終える。
この一首の作者は、冒頭で紹介した、妻にしたたか背中を叩かれている山本吉徳である。

 
作品はすべて、『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子・編、皓星社より引用した。
 

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