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消えゆく音、終わらない音楽――『Ryuichi Sakamoto | Opus』の公開に寄せて③

楽曲解説(続)

引き続き、楽曲の成り立ちについて考察していこう。

  1. Lack of Love

  2. BB

  3. Andata

  4. Solitude

  5. for Johann

  6. Aubade 2020

  7. Ichimei - small happiness

  8. Mizu no Naka no Bagatelle

  9. Bibo no Aozora

  10. Aqua

  11. Tong Poo

  12. The Wuthering Heights

  13. 20220302 - sarabande

  14. The Sheltering Sky

  15. 20180219(w / prepared piano)

  16. The Last Emperor

  17. Trioon

  18. Happy End

  19. Merry Christmas, Mr. Lawrence

  20. Opus - ending

「Aqua」
ピアノソロアルバム『BTTB』(1999)からの一曲。

もともとは娘の美雨のために作った曲。(中略)けれど発表時期が前後して、こっちのカヴァーヴァージョンのほうが先に出てしまいました。

『US』ライナーノーツ

坂本がそう語るように、オリジナルは娘の坂本美雨のために書かれた楽曲であり、ファーストアルバム『DAWN PINK』(1999年)の先行シングル『in aquascape』(1999年)として発表されている。

この曲はコンサートのエンディングに演奏される機会が多かったが、この映画では中盤に登場することで、普段とは異なった特別なメッセージを帯びている。

この演奏には、娘の美雨に対する特別な想いが込められているのだ。空間が静かな優しさに包まれていく――

「Tong Poo」
YMOのデビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』(1978年)より。

あれは(引用者注記:「Tong Poo」)それこそ北京交響楽団をイメージして書いた曲なんですよ。たぶん何かを下書きにしていると思う。(中略)中国のオーケストラの、整然とした顔つきというのが、クラフトワークみたいなオーケストラに見えたわけです。

『OMOYDE』、P29

坂本のコメントにもあるように、「Tong Poo」は北京交響楽団とクラフトワークをイメージして作曲されている。

細野晴臣も、北京交響楽団とクラフトワークは、YMO結成時の重要なコンセプトであると次のようにコメントしている。

クラフトワークを聴き込めば聴き込むほど、ドイツとかヨーロッパの歴史の深さに圧倒されるばかりだったんです。これは僕らにはできない、やっても真似になってしまう。彼らに対抗する方法論を見つけだせなかったそんなときに、北京の楽団が、僕らが東洋人であるという意識を刺激してくれたんですよ。

『OMOYDE』、P132

YMOを体現した楽曲とも言える「Tong Poo」を演奏することについて、坂本は次のように言及している。

『Tong Poo』はこれまでになくゆったりとしたテンポで演奏しました。その意味では、最後の機会だと称しながら、ここにきて新境地とも言えるかもしれません。

坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』、P262

「Tong Poo」は、この映画ではもっとも古い楽曲となるが、過去を振り返るのと同時に、新たな試みの実践でもあるのだ。

「The Wuthering Heights」

なかには『The Wuthering Heights』(1992年)や『Ichimei - small happiness』(2011年)など、ピアノ・ソロで扱うのは初めての曲もあった。

前掲書、P262

坂本がそう語るように、ピーター・コズミンスキー監督『嵐が丘』(1992年)のメインテーマ「The Wuthering Heights」を、ピアノだけのコンサートで演奏するのは、初めてことである。

『1996』ではピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオ編成では、演奏されているものの、それ以外で取り上げられなかったのは、ピアノの音が減衰するという表現上の制約を意識していたことが原因であるように推測できる。

映画の公開に際し、空監督はこんなコメントを寄せている。

晩年はピアノの音が減衰して無音になる境目をすごく気にしているようでした。ピアノから発せられるサウンドが空気のノイズに溶け込む境目のない瞬間をすごくおもしろがっていたように思います。

『THE BIG ISSUE』(2024年5月1日号)

しかし、今やピアノの音が自然のなかへと消えゆく様子を楽しみながら、楽器と戯れる坂本は自由だ。そのような境地に至り、この曲をピアノソロで演奏することにしたのではないだろうか。

響きから静寂へ。そして静寂から響きへ。
坂本がピアノで奏でる音楽は、ときにノイズと一体になりながら、静寂と響きの間を分け隔てなく、そして自由に行き来する——

「20220302 - sarabande」
2021年3月頃より、シンセサイザーとピアノを使って日記のようにレコーディングされた楽曲が、生前最後のアルバム『12』となった。

現代美術家の李禹煥は、本作のためにジャケットのドローイングを制作している。
坂本は芸術運動「もの派」の理論を提唱した李を学生の頃より敬愛しており、このアルバムにも「もの派」の影響が色濃く反映され、音を「もの」として、ありのままに表現する試みが実践されている。

プリティブな音を探求するアプローチは、『async』(2017年)の頃より鮮明になっていく。

「もの」があるところから、実際にその「もの」の音を聞くという本来の音楽のあり方に戻したい、という気持ちがとても強くなっています。

WIRED「理想の「音」は雨の音。
音の自由を求め、原点へ」

『async』でしたかったことは、まずは自分の聴きたい音だけを集めるということでした。あまり家から出ないので、雨の音が鳴っていると嬉しくて、毎回録音してしまいます。今回の制作はそういうところから始まって、ただ「もの」が発しているだけの音を拾いたいと思った。

美術手帖「坂本龍一ロング・インタビュー。あるがままのSとNをMに求めて」

坂本がインタビューでこう語るとおり「もの派」への傾倒は、『async』から始まっている。

そして、2019年に開催された李の展覧会への音楽提供というコラボレーションを経て、「もの派」の思想を取り入れた音楽は、ラストアルバムの『12』でついに完成するのである。

大学に入ったばかりのぼくは、そんな「もの派」の哲学に、なんてカッコいいんだと感銘を受けつつも、このコンセプトをすぐに自分の音楽に応用しようとまでは考えなかった。というか、音楽にどう活かせばよいか分からなかった、というのが正直なところです。

坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』、P166

坂本が語るように、「もの派」を音楽に取り入れるというコンセプトは、学生時代より構想されているが、それがキャリアの最後で実現したというのは、感慨深いものがある。

『12』では『aync』以上に音響的な表現に重きをおき、抽象度の高い楽曲が多い。しかし映画で演奏された「20220302 - sarabande」だけは、sarabandeという楽曲の様式がタイトルに付けられているように、クラシックの楽曲を想起させる作品に仕上がっている。

この映画だけでも、「Aubade」、「Bagatelle」、「Sarabande」などクラシックの楽曲様式をタイトルに取り入れた曲が3作品もあることから、坂本とクラシック音楽との結びつきの強さを想像することができる。

【続く】

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